【読んだ本】ウィリアム・ケント・クルーガー(著) 宇佐山晶子(訳) 『ありふれた祈り』 早川書房
昨年の8月にkindleで購入して、すぐに読み始めたのだが、つい先日に読了した。一つの小説にこんなに時間をかけることはなく、そもそも途中でわからなくなりそうなものだが、半分を過ぎるころから一気に読んでしまった。
昨年の海外ミステリーの中でも高評価の一冊だが、謎ときという意味において、スリルや驚きを求めすぎない方がいいだろう。経験豊富な読者であれば、謎については検討がついてしまうと思うのだ。
それでも、小説としての味わいは一級だと思う。内容紹介は以下のようにある。
『あの夏のすべての死は、ひとりの子供の死ではじまった―。1961年、ミネソタ州の田舎町で穏やかな牧師の父と芸術家肌の母、音楽の才能がある姉、聡明な弟とともに暮らす13歳の少年フランク。だが、ごく平凡だった日々は、思いがけない悲劇によって一転する。』
小説は、その夏を回想するという一人称の形式でつづられる。
この内容紹介にあるように、静かな街に訪れる死の影と、その波に翻弄される人々を描いていく。全編は哀しみの旋律が奏でられているが、悲痛ではない。それは、タイトルの「祈り」という言葉に込められている。
現代は、”Ordinary Grace”で、このgraceは食事の前などの祈りだ。prayerではないのだが、その意味が明かされるシーンはこの小説のひとつのクライマックスになっている。
そして、それはピアニッシモで奏されるような頂点だ。その静かな感動を核にして、全般が精緻に設計されている。
トマス・クックの「緋色の記憶」、あるいはジョン・ハートの「ラスト・チャイルド」、そして「スタンド・バイ・ミー」など、少年を主人公にした米国生まれの名作は数多い。この小説も、そうした群峰につらなる名作だと思う。
それにしても、こうした少年を主人公にした小説群がなぜ米国で誕生するのだろうか。 >> 【書評】ありふれることのない名作。「ありふれた祈り」の続きを読む