それほど難しいことを書くつもりではないんだけれど、昨年のラグビーワールドカップで考えたのは「日本人」という意識もだんだん変わるんだろうな、ということだった。ラグビーの場合は、長いこと見てなかった人がいきなり南アフリカ戦が盛り上がったので、覗いたら「エ~そんなに外国人多いの?」となった感じだ。ずっと見ていれば別に驚くことではない。
どの国もそういうルールなのだ。
でも、「なんかモヤモヤする」という人も多かったとは思う。ただし、自分の周囲では少なかった。それは「日本人か外国人か」というような発想で考えている場合ではない、というくらい仕事の環境が変化しているからだと思う。で、そういう環境に身を置いている人にとっては、どこの国の人間かというより「どういうチームで働いて目的を達成するか」が遥かに重要だからだ。
逆に考えると「まわりが日本人だらけ」の環境の人にとって、外国人はいつまでたっても“ガイジン”なのだろうし、そういう人にとってモヤモヤ感はずっと続くかもしれない。
僕はふと思ったんだけど、「カタカナ」というのは、結構その辺りの心理に作用するんじゃないだろうか。日本語では表音文字が2種類あって、カタカナは外来語表記に使われるようになった。そうなると、漢字圏以外の外国人の姓名はカタカナ表記なので「代表一覧」とか見れば、一目でわかってしまう。
ラグビー出場国の多くはアルファベット表記で、もちろん綴りによって民族の系譜などはわかるかもしれないが、日本のようにハッキリとは見えないだろう。
そして、スポーツ界では、日本人と外国出身者の間に生まれた、いわゆる「ハーフ」の選手が活躍する傾向が強まってる。 >> 【今年気になること】「日本人」って何だろう?の続きを読む