日本マクドナルドの株を米国本社が売却方針という記事が日経に出た。まだ一紙だけの報道で何とも言えないんだけど、マクドナルドにとって日本が魅力的な市場でなくなってきていることは確かだろう。
記事によれば現地企業が主導権をもって運営する国は「本社への貢献率が低い」グループになるとも書かれている。
このニュースの今後の展開はともかくとしても、相当の閉店ラッシュであることは事実で、先日は最大規模の表参道店も閉めた。流通業などでも大量閉店に踏み切ることはあるが、今回のマックの場合なんだか先が見えない。
マクドナルドの低迷はナゲットの異物混入がきっかけだろうが、それでけではなく先進国ではどこでも不調のようだ。ましてや日本市場では、ハンバーガー以外にもファーストフードが多く、コンビニも競合になる。面倒な市場であることはよくわかる。
それにしても、歴史の転換点がやってきたなあと改めて思う。マクドナルドの日本第一号店が出店したのは1971年。この年はカップヌードルが発売されて、non-noが創刊された。
重厚長大産業中心の高度経済成長が一段落して、万博も終わり、学生運動も一段落。やがて来るオイルショックの前の時期で、戦後消費市場の転換点の1つだった。
そして、日本におけるマクドナルドの問題は、独特の「人口ピーク」にも関連していると思う。1947年から49年にかけて生まれた第1次ベビーブーマー、いわゆる団塊世代が1つ。その世代の子ども(多くは母が団塊世代)にあたる第2次ベビーブーマー(1971年から74年のいわゆる団塊ジュニア)がもう1つだが、彼らへの依存が高かったと思う。
マクドナルドは、幅広くどんな人にでも受け入れてもらう戦略をとってきた。典型的なマス・プロダクトであって、「量」の確保により手ごろな価格で提供してきた。
セグメントやターゲットとか考えすぎるとおかしいことになるわけで、ボリュームゾーンと盛衰をともにしていく構造になっている。そこを抑えればブランドの存在感が強まり、上下に波及するわけだ。
第1号ができた時は、団塊世代が20代前半だ。もっとも新しいものを受け入れやすい世代がボリュームゾーンだったのだ。そして、団塊ジュニアが20代となる1990年代はバブルが崩壊して低価格志向が強まる。マクドナルドは価格戦略で一気に攻めていった。
この人口ピーク両世代が20代だった時に、マクドナルドは存在感を高めてきた。
そして団塊世代が60代後半となり、団塊ジュニアが40代前半になった。そうそう、彼らに量は期待できない。その一方、いまの20代の食の選択肢は幅広い。それは全世代においても同じこと。
異物混入で「マック離れ」が起きた後に、「別にマックじゃなくてもいいじゃないか」となればそうそう顧客は戻ってこないだろう。
三菱商事もケンタッキーフライドチキンの株式も売却したわけだが、KFCの1号店も1970年。「数で勝負」の外食は本当に転換点になったのだと思う。