何度か書いているけれど、今秋から能を見始めている。夏に見た寒川神社の薪能がきっかけで、いろいろと通うようになり、今日は、初めて目黒の喜多能楽堂に行った。
まだ評するほどではないが、感じたことを覚え書きにしておきたい。
■ やっぱり客層は高齢者中心
これは予想通りだったが、相当に年齢は高い。昼間の寄席などは団塊世代が支えている感じだが、さらにその上という感じである。ただし国立能楽堂の主催公演だと若い人も女性を中心に結構いる。これは、チケット価格も関係しているかもしれない。
■ チケットは結構高い
最初に国立能楽堂に行ったときは、一番高い正面席が4,900円で、一番安いのは2,700円だったので「そんなものか」と思ったんだけど、そんなものではない。観世会だと12,500円から7,000円。定期公演や企画公演などで違いもあるがよその流派でも、一番高い席は10,000円くらいするし、安くても5,000円くらい。
出演者は少ないが能楽堂は座席数が少ないし、仮に増やしてもそうそう埋まるわけではないだろう。衣装などの維持を考えるとこうした価格になるのだろうが、これは若い人に広めていく上で結構ネックかもしれない。歌舞伎座1等席の18,000円はともかく、宝塚とN響のS席が8,800円という辺りと比較しても、高い印象がある。とりあえず安いチケットを買っていて、それでも十分楽しめるけどね。
ちなみに国立能楽堂の主催公演はまず満席になるので、やはりチケット価格がひっかかってるのだろう。
■ 能楽堂は意外と多い
千駄ヶ谷の国立能楽堂をはじめとして、実際に行ったのは梅若、宝生、矢来、そして喜多。他にも青山銕仙会やセルリワンタワーにもある。梅若能楽学院へ入った時は、墨の香りが漂ってきて沁みたのが印象的だ。年明けには名古屋に行く予定。
■ 音の迫力は想像以上
大鼓、小鼓、太鼓に笛。そして、謡は8名であるが曲によってはクライマックスで相当な音圧を感じる。これは意外だった。究極のアコースティック・バンドのようなものなのだが、発声からアンサンブルまで相当に奥が深そうだ。
■ こんなに長いとは思わなかった。
能は一曲が80分くらいで、長いものでは2時間近くになる。短いものでも40分ほど。ついつい音楽と比較してしまうのだが80分と言えばマーラーの「復活」とかできてしまう。もちろん映画などでは2時間座りっぱなしというのはあるし、オペラの一幕も80分くらいはあるが「一曲」としては長い。ただし、これも不思議なもので慣れてくる。
■ 昔の人は霊が身近だったんだろう
能の多くは「夢幻能」のという形式をとる。霊的な存在が主人公となるのだ。前半でワキである旅の僧が、その土地の謂れを聞き後半にそのエピソードにまつわるシテの霊が登場するという構成が多い。その霊の登場は、ワキの夢の中とされている。
しみじみ思うのは、昔は霊がいたのだなぁということ。じゃあ、今は消えたのかという話ではない。霊というのは人間の内心のあり方によって現れるものだ。科学が発達してない時代であれば、その存在を信じるのが当然ともいえるだろう。
そして、能の成立した室町時代は、戦いや病苦などによって、いまよりも遥かに「死」との距離が近かった。そう考えると、ある程度年齢を重ねてから能に惹かれるのはある種の必然かもしれない。
ちょっと気になったら、まず千駄ヶ谷のチケットを覗いてみることをお薦めする。