読売日本交響楽団 第553回 定期演奏会
指揮=オスモ・ヴァンスカ
2015年12月4日 サントリーホール
シベリウス:交響曲 第5番 変ホ長調 作品82
シベリウス:交響曲 第6番 ニ短調 作品104
シベリウス:交響曲 第7番 ハ長調 作品105
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この夜演奏された曲が作られた100年ほど前に、日本の東京で、地元のオケがこんなに素晴らしい演奏をするなんて誰も想像していなかったと思う。
ヴァンスカが曲を隅々まで知り尽くし、一音一音をとても大切にしていることがヒシヒシと伝わってきたが、オーケストラの能力、ことに集中力が高いからそれが実感できた。
日本のオケも、「どうだ!」と迫る大曲、たとえばマーラーの「復活」などだと、どのオケもそれなりの盛り上がりにに導いてくれるのだけど、この日のようなプログラムで、しみじみと導いてくれることは稀だ。
そういう意味で、この日の読響は在京オーケストラの演奏会の水準の中でも、一頭地を抜いている感じだった。
この日に聴いてあらためて思ったのだけど、シベリウスの曲は演奏会で体験することで「ああ、そう書いているのか」と伝わってくることも多い。シベリウスはオーケストラの鳴り方が、決して派手ではなく、個別のメロディやリズムよりも、全体の「響き」で聴かせるところがあるからだろう。
これが録音だと、どうしてもモッタリとした感じになって、それがとっつきにくさにもつながっていると思うんだけど、生で聴くと、作曲家が考えていたことが霧の中からクッキリと見えてくる感じだ。というか、演奏がよかったからそう感じたのだろうけど。
あらためて発見があったのだが、金管が一斉に演奏して、またしばらく一斉に休むというパターンが結構多い。まあスコア見ればわかる話なんだけど、弦、木管、金管の役割が「はい、ここから」とハッキリしているので、シベリウスの曲が苦手な人は、このあたりが単調に感じるのだろう。
ところが、この日の演奏会だととても劇的に聴こえる。と言っても、ワーグナーのような人工的な迫力ではなく、サッと雲がかかったり、霹靂のような叫びだったりと、自然の唸りが響いてくる。
あと、まったく関係ないけど6番の一楽章に「スターウォーズ」を思い出すフレーズが一瞬あったりするんだけど、全体として自然や宇宙を感じさせる響きが、キラキラっと瞬間的に光って、それを管楽器が上手に表現していた。
そういえば、どうしてシベリウスを聴きたくなったのか自分でもよくわからなかったのだが、ちかごろ能を見ていることも関係あるかも。能でいう「幽玄」という世界観、どこかシベリウスに通じるところがあると思うんだけど。
ディスクは全集だとベルグルンドを聴くことが多いが、4番以降のカラヤンもおもしろい。カラヤンが60年代にシベリウスに熱心で、その後遠ざかったのはどうしてなんだろうか。晩年に演奏していたら、また趣があったんだろうけど。