2015年12月アーカイブ
(2015年12月22日)

カテゴリ:マーケティング

日本マクドナルドの株を米国本社が売却方針という記事が日経に出た。まだ一紙だけの報道で何とも言えないんだけど、マクドナルドにとって日本が魅力的な市場でなくなってきていることは確かだろう。
記事によれば現地企業が主導権をもって運営する国は「本社への貢献率が低い」グループになるとも書かれている。

このニュースの今後の展開はともかくとしても、相当の閉店ラッシュであることは事実で、先日は最大規模の表参道店も閉めた。流通業などでも大量閉店に踏み切ることはあるが、今回のマックの場合なんだか先が見えない。

マクドナルドの低迷はナゲットの異物混入がきっかけだろうが、それでけではなく先進国ではどこでも不調のようだ。ましてや日本市場では、ハンバーガー以外にもファーストフードが多く、コンビニも競合になる。面倒な市場であることはよくわかる。

それにしても、歴史の転換点がやってきたなあと改めて思う。マクドナルドの日本第一号店が出店したのは1971年。この年はカップヌードルが発売されて、non-noが創刊された。

重厚長大産業中心の高度経済成長が一段落して、万博も終わり、学生運動も一段落。やがて来るオイルショックの前の時期で、戦後消費市場の転換点の1つだった。 >> マクドナルドと団塊親子。の続きを読む



kita何度か書いているけれど、今秋から能を見始めている。夏に見た寒川神社の薪能がきっかけで、いろいろと通うようになり、今日は、初めて目黒の喜多能楽堂に行った。

まだ評するほどではないが、感じたことを覚え書きにしておきたい。

■ やっぱり客層は高齢者中心

これは予想通りだったが、相当に年齢は高い。昼間の寄席などは団塊世代が支えている感じだが、さらにその上という感じである。ただし国立能楽堂の主催公演だと若い人も女性を中心に結構いる。これは、チケット価格も関係しているかもしれない。

■ チケットは結構高い

最初に国立能楽堂に行ったときは、一番高い正面席が4,900円で、一番安いのは2,700円だったので「そんなものか」と思ったんだけど、そんなものではない。観世会だと12,500円から7,000円。定期公演や企画公演などで違いもあるがよその流派でも、一番高い席は10,000円くらいするし、安くても5,000円くらい。

出演者は少ないが能楽堂は座席数が少ないし、仮に増やしてもそうそう埋まるわけではないだろう。衣装などの維持を考えるとこうした価格になるのだろうが、これは若い人に広めていく上で結構ネックかもしれない。歌舞伎座1等席の18,000円はともかく、宝塚とN響のS席が8,800円という辺りと比較しても、高い印象がある。とりあえず安いチケットを買っていて、それでも十分楽しめるけどね。

ちなみに国立能楽堂の主催公演はまず満席になるので、やはりチケット価格がひっかかってるのだろう。 >> 「能」について、いろいろ感じたこと。の続きを読む



東京フィルハーモニー交響楽団 『第九』特別演奏会

指揮:アンドレア・バッティストーニ

ソプラノ:安井 陽子・アルト:竹本 節子・テノール:アンドレアス・シャーガー・バリトン:萩原 潤

合唱:東京オペラシンガーズ

 

2015年12月18日(金)19:00 東京オペラシティ コンサートホール

ベートーヴェン/序曲『レオノーレ』第3番

ベートーヴェン/交響曲第9番 ニ短調『合唱付』作品125

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「第九」は3楽章までは屈指の名曲だと思うんだけど、4楽章の「やればできる」的なノリが決して好きではないので、指揮者に関心があるときだけ聞きに行く。最近だと2年前のインバルと都響以来だろうか。

というわけで、この日はバッティストーニの演奏を聴いてみたいというのが来た理由。この「ピエモンテ州の名物料理」みたいな名前の指揮者(そんな料理はないけど)が東フィルを振った演奏の評判をよく聞いたので、興味を持ったのだ。

この曲は、日本では年末にたくさん演奏されるのであまり意識されてないかもしれないが、あらゆる交響曲の中でも相当に演奏が難しい曲だと思ってる。いろんなところに落とし穴というか罠のようなものがある。

で、この日はどうしたかというと、東フィルは見事にそのトラップに嵌ったという感じだ。

レオノーレの冒頭から木管の音程が怪しくて嫌な予感がしたのだが、この傾向が終始変わらず。全体的にもアインザッツが合わない、というかそもそもアンサンブルが相当に荒れている。 >> 東フィルのことが心配になる一夜。バッティストーニの「第九」の続きを読む



食習慣は人さまざまだが、酒を飲むかどうかによる違いは相当大きい。僕は、自宅でも何らかの酒類を飲みながらの夕食は多いし、外食でも同じだ。まず「飲み物はいかがしましょうか」と訊ねられることに違和感はない。

だから、「居酒屋で水ばかり頼むのはあり?」とかいう記事を読むと、そりゃないだろうなと思ってしまう方だ。

ただ、忘年会というものが殆どなく、今年は一件もない。フリーだと、自分で声かけなきゃそんなものだろう。もともとそういう会は嫌いで、寒い中グジャグジャの繁華街歩くのとか嫌なんで、この時期は順調に引きこもっているのだ。

一方で家人にはそれなりの集まりがあるので、1人で馴染みの店に行ったりもするがそれにも飽きたので、「まあ飲まずにメシだけ」と考えると意外と選択肢が少ない。

ハンバーガーや、牛丼などのファーストフード以外には、蕎麦屋、ラーメン屋、ファミレスなど。定食は、居酒屋などが昼に出していることが多く、夜に見つけるのは難しい。

少しゆっくりしたいと思うとファミレスはたしかにいいんだけど、ご存じのように相当店を畳んでしまった。

カフェにはそういう店舗もあるけれど、カフェという業態自体が特定の地域に偏っている。

となると、改めて飲まない人の気持ちがわかるし、飲めるけど「メシだけゆっくり食べたい人」のニーズだってもっとあるだろう?とか思うのだ。

ことに都心部はその傾向が強くて、大学の講義の後に大戸屋で食べていたら満席だったけれど、殆どが一人客だった。たしかに、他にそういう店はないのである。 >> ここは東京なのに「夜に和定食」を食べるのが難しいとは。の続きを読む



職人技というのは、日本人が大好きな世界のようで、テレビなどでもよく取り上げられる。先日、高層ビルの窓掃除をする「ブランコ師」が出ている番組をやっていたが、JR東日本の東京駅折り返し7分間で掃除するチームの話は見聞きした人も多いんじゃないだろうか。

もちろん掃除だけではなく、この職人技の世界は日本の伝統芸術への憧れと、昭和へのノスタルジーが一体となっていまもなお魅力的だ。

この手の世界を取材して、外国人が“Oh!”と驚けば、まあそれなりの番組ができる。この手の職人技は、誰もができるわけではないけれど、日本人の心の拠り所になっているところもあるのだろう。

でも、職人技信仰って進歩を妨げている面もあると思う。窓拭きだって「じゃあ自動化すればいいじゃん」とか、「そもそも拭かないでもいい窓は作れないのか」という発想から新しいことは生まれてくるんじゃないか。

自動運転やドローンもそうだし、マイナンバーなどの制度でもやたらと「危険じゃないか」という話が先行しやすいのは、「過剰なリスクゼロ志向」と「自動化への懐疑」がセットになっているように思う。

その一方で印鑑登録制度のような、江戸時代から続くシステムが温存されている。

そして、自動化への懐疑は、職人技への憧憬と表裏一体になる。そりゃ下町ロケットは上手なインサイトを突いているわけだ。

もっとも、高度成長期はどんどんオートメーション化を進めてきたわけだが、ここにきて職人賛美が受けるのはどうしてか? >> 「職人賛美」は進歩を遅らせるのか?の続きを読む