2015年12月アーカイブ

IMG_1239ヴィトゲンシュタイン 著 山元一郎(訳) 『論理哲学論』 中央公論新社

もう、本の紹介でもなんでもない感じになってきているが、「トイレに置くべき一冊」について書いて、今年の締め括りにしようと思う。

現在、我が家のトイレに座った時に目にするのは写真のような光景だ。そう、ヴィトゲンシュタインの「論考」である。(私の持っている邦題は「論理哲学論」だけど)ちなみに、左側の壁には江戸市中の古地図が貼ってある。昔は世界地図や歴史年表を貼っていたこともあった。

自分はトイレの滞在時間が短いので、本を読もうと思うことはあまりない。ただ、もしそういう時には、どこから読んでも、どこで読み終わってもいい本がいいのではないか。そう考えると、全体が哲学的命題の断章で、いわゆる「箇条書き」で書かれている同書は適しているのではないかと思ったのだ。

このことを先日facebookに書いたら、「ぜったい便秘になる」という声もあったが、驚いたことに同じことしていた方もいた。家族の方からは不評だったそうである。

とはいえ、この本はトイレに向いているのではないかというのは、それなりの理由がある。

トレイに座って、本書を開いてみよう。 >> 【歳末本祭り】トイレに置くならこの一冊。ヴィトゲンシュタインの「論考」の続きを読む



(2015年12月30日)

カテゴリ:見聞きした

こんなことをするのは初めてなのだけど、今年行った舞台を一通り書き出してみた。

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【1月】8日:鈴本演芸場夜の部・21日:スぺースゼロ新春寄席(雲助・喬太郎他)

・22日N響定期公演Bプロ

【2月】2日:桃月庵白酒独演会・24日:宝塚歌劇雪組公演「ルパン三世」他

【3月】7日:渋谷に福来たる(三三・白酒・一の輔)・9日:桃月庵白酒独演会・21日:仙台フィル定期公演・28日:ロサンゼルス・フィル東京公演「マーラー・交響曲第6番」

【4月】3日:バッハ・コレギウム・ジャパン演奏会「マタイ受難曲」

【5月】4日・春風亭昇太独演会・19日:桃月庵白酒独演会

【6月】3日・末廣亭昼の部・25日:東宝ミュージカル「エリザベート」・29日:シティボーイズ公演

【7月】12日:新日本フィル定期公演「マーラー“復活」”・22日:桃月庵白酒独演会・23日:立川談春独演会・26日:宝塚歌劇月組公演「1789」・26日:春風亭昇太独演会

【8月】6日:アンドレ・アンリ&加納尚樹デュオ演奏会・15日:相模原薪能・21日:鈴本演芸場昼の部

【9月】15日:宝塚歌劇雪組公演「星逢一夜」・16日:国立能楽堂定例公演・23日:アンサンブル・ジュピター定期公演・29日:桃月庵白酒独演会

【10月】4日:観世会定期能・13日:春風亭昇太独演会・14日:ポーランド国立ワルシャワ室内歌劇場オペラ「魔笛」・24日:劇団四季「オペラ座の怪人」・31日:国立能楽堂企画公演

【11月】8日:宝生会月並公演・21日:バッハ・コレギウム・ジャパン演奏会「モーツアルト・ミサ曲ハ短調」・23日・永島充の会
【12月】2日:国立能楽堂定例公演・4日:読売日響定期公演「シベリウス交響曲5・6・7番」・9日:桃月庵白酒独演会・11日:国立劇場歌舞伎公演「東海道四谷怪談」・12日:国立能楽堂普及公演・13日:金春円満井会特別公演「道成寺」・18日東京フィル特別公演「第九」・20日喜多流自主公演・30日:桃月庵白酒独演会(予定)

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どれがベストとか、ましてワーストがなどと言い出すと野暮になるのでやめておくが、勘定すると45回だった。毎週というわけではないが、11月以降はよく行ったなあという感じだった。 >> 2015年、今年行った舞台。の続きを読む



71Xomp30ypL._SL1500_[読んだ本] アルトゥール・ショーペンハウアー著) 鈴木芳子(訳) 『読書について』 光文社古典新訳文庫
読むこと自体はそうそう難しくないけれど、どう感じるかとなると、なかなかに手強いのがこの一冊。

『読書について』は、ショーペンハウアーの『余録と補遺』から訳出された三篇からなっているが、書物と人間の知性をめぐる鋭い問いかけが読み継がれている理由だろう。

『読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ』(p.11)

まあ、過去の本を読むより自分の頭で考えろという話なんだけれど、これはまた都合よく解釈されやすい。「オリジナルだけに意味がある」と創作に燃えて、過去の作品を勉強することを嫌がるアーチスト志望の人などには有難いようだが、うかつに信じれば、そこには大きな落とし穴がありそうだ。

ふと思い出すのは、中学校の時に「大切なのは未来なんだから歴史のような過去のことを学ぶのは意味がない」と言っていた同期生がいたことだった。単なる勉強嫌いならともかく、相当成績がよかったので、まあ典型的な中二病だったのだろう。

ちょっと考えればわかることだが、「読書をする」ということが、「自分の頭で考える」ことを邪魔するわけではない。知識が、そのまま創造力を妨げるわけではない。

歴史に学ばない人が、失敗を繰り返していることを見ても明らかだ。

しかし、ショーペンハウアーの言葉がどこか僕たちの「痛いところ」を突いているからこそ、読み継がれているのだと思う。

それは、この時代がある種の「情報爆発」が起きていたことと関係があると思っている。 >> 【歳末本祭り】ショーペンハウアーの仕掛けたトラップ『読書について』の続きを読む



51BEufQk+1L._SX342_BO1,204,203,200_【読んだ本】北村薫 『太宰治の辞書』(新潮社)

久しぶりに北村薫を読んだ。小説として、とりわけミステリーとして期待をするとちょっと肩透かしかもしれない。また日本の近代文学に関心がない人にとっては、面白味は感じられないだろう。

ただ、太宰や芥川の小説を読んだことがあって、そういうのもいいよなという人にとっては、なかなかいいんじゃないだろうか。

そして、この小説は作者のデビュー作「空飛ぶ馬」の主人公が登場する。僕も途中で読んでない作品があり、それでも十分楽しめるとはいえ、その辺りの経緯を含めて説j名すると長くなるので、内容については出版社の紹介分を読んでいだたいた方がいいかもしれない。
>>>芥川の「舞踏会」の花火、太宰の「女生徒」の“ロココ料理”、朔太郎の詩のおだまきの花……その世界に胸震わす喜び。自分を賭けて読み解いていく醍醐味。作家は何を伝えているのか――。編集者として時を重ねた《私》は、太宰の創作の謎に出会う。《円紫さん》の言葉に導かれ、本を巡る旅は、作家の秘密の探索に――。>>>
僕なりに一言でいうと、「小説の醍醐味を凝縮した小説」と言えるかもしれない。

小説は役に立たないものかもしれない。本好きを自認するビジネスパーソンの中には、小説を毛嫌いする人がいる。ビジネス本やノンフィクションじゃないと「役に立たない」と思っているようで、まあそれはそれでいいだろう。

しかし、仕事がいかにうまく言っていても、生きていく上での壁はまたさまざまだ。そういう時に、小説は存在している。さまざまな時代の、さまざまな地域の、さまざまな人の生き方をストーリーによって体感することで、人生の多様性を知る。 >> 【歳末本祭り】「役に立たない」から小説は面白い。『太宰治の辞書』の続きを読む



クリスマスというのは、夫婦二人の家庭にとっては「つかみどころ」がないイベントでもある。若いうちであれば、ツリーのきれいなところに行ったりしたが、最近は馴染みの和食や鮨の店に行くことが多い。

24日は近所の和食屋だったが、似たような年代の夫婦や母娘でにぎわっていた。欧系料理の店は、特別メニューになることが多く、そういうのに背を向けているような年代の人が多い。

それにしても、クリスマスというの日本人の生活にとって不思議な位置づけになっている。

「子どもがプレゼントをもらう」という日であることは、結構前から今にいたるまで続いているが、「カップルで過ごす」あたりは相当怪しい。

大学のサークルは1月初旬に毎年コンサートをしていたので、クリスマスの時期は追い込みだったので、あまり意識していなかった。何となく覚えているのは、4年の頃に空気感が変わっていたことだ。練習の後に居酒屋に行ったとき、一年生の男性が「クリスマスですよねぇ」と、疑問を呈すような口ぶりだったのが印象的だ。

まさに、バブルの前夜で、それ以降どうなったのかは古文書や長老の伝承を聞けばわかるだろう。

ただし、クリスマスが戦後70年の間でどう変化したかというような「考古学」的なまとまった研究はないように思う。

ちなみに、クリスマスは「キリストの誕生を祝う日」だけど、「キリスト」の誕生日ではない。いろいろな説があるけれど、冬至近辺の異教徒の祭りに合わせてキリスト教陣営が当ててきた、つまり「裏番組つぶしのキラーコンテンツ」だったとも言われている。

まあ、経緯はともかく結果としてクリスマスは冬至に近い。つまり、もっとも一年で最も日が短い時期になるわけで、勢い家路を急ぎたくなり、人恋しくもなるだろう。緯度の高い欧州では、15時過ぎには暗くなるという。 >> 日本のクリスマスは「冬至祭り」みたいなものなのかも。の続きを読む