ハロウィンが去った。一部の報道では「ハロウィン騒動」と書いていて、もうそこにはハナから悪意を感じるわけなんだけど、なんかいろんなことが「クッキリ分かれた」イベントになってるな、と思う。
で、いろんな溝が見えてくるなあ、と思うのだ。
まず、「仮装する人と、仮装しない人」がクッキリ分かれる。これは年代の要素も多そうで、若い人が多いのはまあわかる。あと、子どもたちに便乗するように親も参加するんだろうか。結構職場で盛り上がっている人もいるようだ。
結局、どういう仲間に帰属しているか?ということが大事なんだろう。僕のように1人で仕事して、休日も好きなことしてマイペースなので「仮装するぞ」という空気にすら触れていないのだ。
あと、地域によってもクッキリ分かれる。とにかく繁華街に集まる。その象徴が渋谷ということなんだろうけど、日本各地ではどうなんだろう。結構極端な都市型のイベントになっている。
そして、一番気になったのが「ゴミを捨てる人と拾う人」だ。どんな人が捨てて、どんな人が拾うのか。
拾う人は何となくわかる。翌日のSNSで知り合いが実際に活動しているのを幾つか観た。普段から、いろんな社会活動に取り組んでいる人が多い。じゃあ、捨てる人ってどんな人なんだろうか。
日本の街は概してきれいだと思うし、煙草のポイ捨ても条例の効果か減っているように感じる。ずさんな人もいるとはいえ、結構七面倒くさい分別もそれなりに機能している国で、ハロウィンの日、特に渋谷がゴミだらけになる。捨てるのは、どんな人なのか?
翌朝に取材した記事を見ると「思ったよりゴミが少ない」とも書かれてる。ただ、それはハロウィンの日に小中学生が結構拾っていたからともいう。はろう
この「捨てる人」と、「拾う人」の溝は結構重要な気がしている。「捨てる人」のモラルを問うのはわかるし、ネットを見れば怒りの声がたくさんあるけど、彼らはそもそもそういうメディアに接しているんだろうか。
「捨てる人」と「拾う人」は、全く別の世界に住んでいるだろうか。実はどこかで接しているかもしれない。「捨てる人」が常にゴミをポイ捨てしているのかというと、それもわからない。仮装して、気が大きくなっているだけということもある。
でも、「捨てる人」と「拾う人」のような関係って、日本のいたるところにあって、やはりこの人たちは、違う世界に住んでいるように感じるのだ。
これは年代の溝ではない。そして、この「騒動」が来年以降も続けば、ますます「捨てる人」と「拾う人」の溝が浮き彫りになっていく。「公の場を平気で汚す人」と「公の場を無償できれいにする人」がいる。明らかに後者は善人で、前者は悪人だ。
昔話の「花咲じじい」とかを聞くと、世の中そんなにわかりやすい善人と悪人ばっかじゃないだろと感じるのだけど、なんだかそういう世の中になってきているのか。
特に結論もないまま、何かが引っかかるハロウィンなのだった。