というわけで、amazonのfireTVから派生して、ベルリン・フィルのデジタルコンサートホールにはまりかけて、とりあえず7日間メンバーになった翌日、いきなり不具合が起きた。
アプリケーションが立ち上がらないのだ。
メッセージは「原因不明のエラーです」とか、エラーコードとともに日本語ででるだけ。
そして、ウェブサイトに行くと問い合わせも、ヘルプもある。よし!と思ったらヘルプは英語とドイツ語。しかも、エラーコードなどで検索してもわからず。
「お問い合わせ」という日本語をクリックすると、ポップアップで出てきたのは” How can we help you?”という英語。つまり、ここから先は英語で問い合わせるしかない。ちょうど15時過ぎで向こうでは7時くらいだった。
「アプリ動かんのだけど、助けて」というような内容で、エラーコードの番号と一緒にメールして、あまり期待せずにいたら結構すぐに返信が来た。どうやらベルリンのスタッフが、出社してすぐチェックしてくれたんだろうか。現地時間で10時くらい。開けてみると、Baderさんという人からのメールだ。
遠くからの返信なので、妙にうれしい。そして、文面がテキパキしている。
「報告してくれた件、大変申し訳ない」という感じで始まるのは、まあ普通だが
“Our IT department is working with high priority on this, we will try to find a solution as soon as possible.”
「うちのITチームが最優先でやってて、できるだけ早く解決策探すよう頑張るぜ!」
って感じなのかな。 >> ベルリン・フィルはデジタルもすごい、とアプリがダウンしてつくづく思った。の続きを読む
公立図書館を巡っていろんな問題が出てきている。
1つはTSUTAYAに関することで、選書への疑問が出てきて小牧では住民投票まで行われたりした。メディアなどを見ていると、批判が多いようで、住民投票でも白紙撤回のようだ。ただ、ここに来て「TSUTAYAバッシング」じゃないか?という疑問も呈されている。
実際に武雄市では来館者は増加したし、それまでの図書館に「読みたい本がない」という声が寄せられていたのだから、一定の成果はあったはずだ。ただ「読みたい本」に応えればいいのか?という気もする。
一方で、出版社が「新刊本を一定期間貸し出さないように」という要請をおこなうという動きもあるらしい。図書館のせいで新刊が売れない、という理由らしい。
僕は仕事の専門書から小説まで相当の蔵書があり、家では収まりきらずにレンタルルームに3つの棚を置いている。これでも昨年に相当手放して、5つの棚のルームから引っ越したのだ。駐車場を借りられるくらいのコストがそれでもかかる。
自分でも本を書いているし、心情的にもできるだけ買うようにしてた。ただ小説は電子書籍に切り替えても、このまま行くとまたパンクするのは目に見えている。
こうなると、「調べもの」的な場合は図書館を利用する。仕事関連の本は購入して手元におくが、趣味などについてはある程度借りた上で購入を判断する。コンサートで聞く予定の珍しい作曲家についての伝記とか、いきなり読んでも分からない自然科学の本が多い。 >> 「火花」の蔵書数から見える公立図書館の課題。の続きを読む
ベムさんが、嘆いてる。今日のエントリーで、世帯視聴率一辺倒で起きている矛盾について書かれているが、じゃあどうするかというとたしかに難題だ。いつもバッサリ書かれてることが多いようだが、この件についてはやや逡巡も見られて、それほど難しい話だと思う。
「世帯視聴率」というのは、ビデオリサーチが測定し公表する視聴率であって、あのドラマが何%とか、年間1位はどことかいうのも、すべてこれだ。一般的な視聴率ではあるが、問題は「家にいる誰かが見ているとカウントされる」ということだ。
家にいなければカウントされないので、在宅時間の長い人の数字に左右される。また、家にいても「僕は見ない」「私は見る」といった場合は、「私」が見ている番組で決まる。「じゃあ、どうなるかというと年齢の高い人が「世帯」を左右する。
ただし、高齢になるほど広告の効果は限定的になる。一般的に言って、モノはたくさんあるし、あれもこれもとか思わない。あるいは将来不安で余裕がない。別に若者、とは限らなくても、40代くらいまでの人に訴求したいものはたくさんあるんだけど、世帯視聴率を競っても、あまり有効な指標にはならない。
つまり、世帯視聴率が価値の指針になっていないのに、そこから逃れられないのだ。これは他の業界にもあって、「売り上げナンバー1」を競った軽自動車業界は、いわゆる未使用車という在庫を抱えて大変なことになった。「全都道府県出店」を果たしたコンビニはセブンイレブンではないけれど、コツコツと満足度を上げてきた同社が平均日販でアタマ1つ抜けているのはよく知られている。
世帯視聴率は、広告ビジネスにおける最強の通貨だった。一方で、新聞や雑誌の発行部数は通貨としては暴落して、ネットなどの指標が新興通貨になったわけである。
じゃあ、この通貨に代わりはあるのか?近年になって、ビデオリサーチ以外にもデータを提供する動きはある。ただし、商慣習の壁は厚い。あるいはビデオリサーチ社が、世帯視聴率に代わる通貨を提供するかもしれないが、広告主と放送局の利害がからんで、想像しただけで気が遠くなるかもしれない。
ただし、このままでは世帯視聴率という通貨は、ガクッと暴落する可能性がある。それについては関係者だって、気づいてはいる。首都圏直下地震が何%と言われても、そうそう誰もが離れないような状況なのだ。
ただ、可能性の1つとして「特区」のような発想はあるのかもしれない。「地域通貨」じゃないけれど、特定の時間帯や期間、あるいはエリアなどで世帯視聴率以外を指標にして広告効果を図るというやり方だ。いわゆる社会実験と称して、高速道路値下げしたようなものだけど、日本的な漸進的変化となれば、この手の発想はあるのだろうか
ただし、この場合はテレビの視聴率だけでは完結しない。そうなると、既にインテージとニールセンが行っているような活動が注目されるだろう。
結局、個別の%や部数などの「量的数字」では意味がない。効果や満足度などを統合した「新しい通貨」を提供しないと、結局はコストと効率の競争になって、それは経済後退期にはメディアを直撃する。残された時間は、限られているのではないだろうか。
そんなにテレビを見るわけでもなく、動画配信にも興味がなかったのだが、ついついAmazon fireTVを発売日に予約してしまった。書籍を中心に相当なヘビーユーザーで、これからもプライム会員を続ける可能性が高いので、なんかよさそうな気がしたのだ。
stickにしようかとも思ったんだが、そのうちスピーカー替えるかも、とか思ったりして、こちらを選んだ。
接続も簡単で、使い勝手もいい。音声認識がスムーズなので、思いついた映画タイトルを口にすると、ポンと画面に表れて数回ボタンを押すとスタートするのは、相当うれしい。
とはいえ、僕はそんな映画好きではない。最近は年に一度くらいしか映画館にいかない。ただ、以前はよく見ていて、入社した頃はクリエイティブの勉強しなくてはと、週に一度は映画館に行って、片っ端からビデオを見てた頃もあった。
その頃の映画が、プライム・ビデオには結構あって、これがトントンと出てくるのは気持ちい。考えてみると、このamazonのサービスは、僕くらいの歳の「映画のライトユーザー」にぴったりなのかもしれない。
一方で、予想外にはまってしまったがベルリン・フィルハーモニーのデジタル配信サービス。「ベルリン・フィルデジタルコンサートホール」だ。2009年にはサービスがスタートされていて、日本語サイトも早々にできたというけれど、何となく遠ざけていた。デスクトップPCは仕事部屋だし、わざわざノートにスピーカーつけて音楽聞こうと思わなかったのだ。 >> amazon fireTVから、ベルリン・フィルのデジタルに走ってしまった。の続きを読む
ハロウィンが去った。一部の報道では「ハロウィン騒動」と書いていて、もうそこにはハナから悪意を感じるわけなんだけど、なんかいろんなことが「クッキリ分かれた」イベントになってるな、と思う。
で、いろんな溝が見えてくるなあ、と思うのだ。
まず、「仮装する人と、仮装しない人」がクッキリ分かれる。これは年代の要素も多そうで、若い人が多いのはまあわかる。あと、子どもたちに便乗するように親も参加するんだろうか。結構職場で盛り上がっている人もいるようだ。
結局、どういう仲間に帰属しているか?ということが大事なんだろう。僕のように1人で仕事して、休日も好きなことしてマイペースなので「仮装するぞ」という空気にすら触れていないのだ。
あと、地域によってもクッキリ分かれる。とにかく繁華街に集まる。その象徴が渋谷ということなんだろうけど、日本各地ではどうなんだろう。結構極端な都市型のイベントになっている。
そして、一番気になったのが「ゴミを捨てる人と拾う人」だ。どんな人が捨てて、どんな人が拾うのか。
拾う人は何となくわかる。翌日のSNSで知り合いが実際に活動しているのを幾つか観た。普段から、いろんな社会活動に取り組んでいる人が多い。じゃあ、捨てる人ってどんな人なんだろうか。
日本の街は概してきれいだと思うし、煙草のポイ捨ても条例の効果か減っているように感じる。ずさんな人もいるとはいえ、結構七面倒くさい分別もそれなりに機能している国で、ハロウィンの日、特に渋谷がゴミだらけになる。捨てるのは、どんな人なのか?
翌朝に取材した記事を見ると「思ったよりゴミが少ない」とも書かれてる。ただ、それはハロウィンの日に小中学生が結構拾っていたからともいう。 >> ハロウィンで「捨てる人」と「拾う人」の深い溝。の続きを読む