ラグビーのワールドカップが終わった。自分の身近でも結構盛り上がっていたが、想像以上に経験者も含めてラグビー好きが多いのだなと感じる。
このチームの素晴らしさについては、多くの人が語っているので特に言葉を重ねようとは思わないけれど、気になったのは「日本代表に外国人が多いことへの批判」という話だった。
というのも、ネット上でもリアルでも自分の身の回りに批判的には人はいなかったからだ。
でも、どうしてそう思ったかというとSNSなどでラグビー好きが、こんなコメントをしているのを何度も見たからだ。
「外国人ばかりと批判もあるようですが」「外国人ばかりで、という声も聞きますが」
では、どこにそんな声があるのかが疑問だったのだ。
まず目立つのは、2chなどだ。そういう趣旨のスレッドがそれなりに賑わっている。そのソースは何かと見ていくと、日刊ゲンダイの『W杯2勝でも拭えないラグビー日本「外国人ばかり」の違和感を』題材にしているようだ。
これは、僕の探し方が足りないのかもしれないが、実名で外国人選手が多いことを批判している記事は見当たらない。「一部の批判」などと書いているが、その正体はわからない。
つまり「批判」というのは、ネット上で匿名で流されるもの。あるいは実名であっても、たまたま自分の周囲には見当たりにくかったということだろう。
一方、僕がそうした批判を目にしなかったのは、自分の周囲の人がこのルールに納得していたからだと考えられる。彼らの多くは都市部の会社員で、日常的に外国人と仕事で接しているし、一緒に働く人も多い。日本企業でも外国人を幹部や経営者に登用するケースは増えているし、ラグビーのルールは、ビジネスの世界から見ればむしろ当然なのだろう。
逆に見れば、「日本人だけの世界で生きている」人にとっては、受け入れにくいということだと考えられる。
ちなみに日刊ゲンダイの記事も匿名だ。それにしても、ゲンダイというのはアンチ自民で、愛国心が嫌いなようでいながら、外国人も好きではないようで、この辺りはこの新聞の読者の屈折を映し出しているようで面白い。きっと彼らの周囲も日本人ばかりなのだろう。居酒屋の片隅で、「なんか違わねえか」とくだを巻いてるオジサンの姿もまた想像できる。
このあたり、先日書いた、『「日本礼賛番組」って、誰が好きなんだろう?』という記事で感じたこととも通底する。
いまの日本は、ことさら「グローバル化」などと力まなくても自然に世界の流れに溶け込んでいる人がいる。その一方で、流れに馴染めずラグビーW杯のシステムにも違和感を感じる人がいる。
そして、前者が実名で語る一方で、後者は匿名の海に佇んでいる。こうした断裂は今後も続いていくのだろう。
でも、今回よかったと思うのは選手たちが先頭に立って、この外国人を巡るシステムについて積極的に発言したことだ。五郎丸選手の「彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。」というツイートの影響は計り知れない。
一方で、五輪エンブレムの際には協会責任者が前面に出ることのないまま、匿名批判の海に自ら溺れてしまったこととは対照的だ。
この辺りの「堂々とした潔さ」こそが、このラグビーチームが広い共感を得られた最大の理由だろう。あらためてスポーツの奥深さを感じたワールドカップだった。