自宅の近くにピーコックストアがある。もとは大丸グループだったが、2013年にイオン傘下になった。そのあたりから、いろいろと品揃えが妙な感じになり、どんどん客が遠のいていった。というか、我が家でも利用しなくなった。
元々地場の食品スーパーが相当優れていて、最近は駅の反対側の競合も相次いで改装している。こうなると、さらに厳しい。
もともと、イオン傘下になると決まってからあまりいい予感はしなかった。当時はプライベートブランド(PB)の全盛で、そんなものばかりになるのではないか?と思ったのだ。
で、その通りになった。夕方の売り場など悲惨なもので、ヨーグルトや納豆など、見事にPBだけが残っている日もある。
酒類も広い割にバリエーションがなく、価格幅も狭い。近くのセブンイレブンの方がよりいいラインを揃えている。
このくらいまでは、まあ予想がついたのだが、決定的に困るのは生鮮食品が傷んだり、腐ったりしていたことだ。
グレープフルーツなどの柑橘類を剥いたら中がドロドロで返品したことが半年で2度あって、同じ頃買ったレンコンは食べたら筋だらけだった。調理した後だが、食べられないくらいひどくて全部無駄になる。もう店に持って行ってクレームする気もしない。
レモンを買おうと手を伸ばしてつかむと、皮が「グニャッ」としたこともあった。こうなると、果物は怖くて手が出ない。
つまり、普通の買い物ができないのだ。
というようなことは、何十年も前ならそれなりにあったかもしれないが、この時代に日本最大の小売業の店舗で起きているとは信じられなかった。 >> さて、イオンの「反省」がもうすぐ見られそうなんだけど。の続きを読む
ラグビーのワールドカップが終わった。自分の身近でも結構盛り上がっていたが、想像以上に経験者も含めてラグビー好きが多いのだなと感じる。
このチームの素晴らしさについては、多くの人が語っているので特に言葉を重ねようとは思わないけれど、気になったのは「日本代表に外国人が多いことへの批判」という話だった。
というのも、ネット上でもリアルでも自分の身の回りに批判的には人はいなかったからだ。
でも、どうしてそう思ったかというとSNSなどでラグビー好きが、こんなコメントをしているのを何度も見たからだ。
「外国人ばかりと批判もあるようですが」「外国人ばかりで、という声も聞きますが」
では、どこにそんな声があるのかが疑問だったのだ。
まず目立つのは、2chなどだ。そういう趣旨のスレッドがそれなりに賑わっている。そのソースは何かと見ていくと、日刊ゲンダイの『W杯2勝でも拭えないラグビー日本「外国人ばかり」の違和感を』題材にしているようだ。
これは、僕の探し方が足りないのかもしれないが、実名で外国人選手が多いことを批判している記事は見当たらない。「一部の批判」などと書いているが、その正体はわからない。
つまり「批判」というのは、ネット上で匿名で流されるもの。あるいは実名であっても、たまたま自分の周囲には見当たりにくかったということだろう。
>> 「ラグビーは外国人ばかり」と批判していたのは誰だったのか?の続きを読む
自分の言葉に自信を持つのは難しいが、謙虚であり続けることはさらに難しいようだ。
結構前の話だが、とある若い社員が「絶対」という言葉は使わないようにしていると言ってた。
「そうか、それはいいことかもね」
「ハイ。絶対に言いません」
というわけで、言葉というのはいろいろと難しいが、なんでそんなこと思ったかというと、facebookが結構高齢化していて、若い人が離れているというニュースをちらちら見るからだ。(結局このニュースにあった「よくないね」は見送られるようだが)
これは実感としてもわかる。学生を対象に接触メディアと頻度を毎年尋ねているが、facebookのアカウントは持っていても、自らエントリーすることは全くないという学生も多い。数年前のmixiの状況になっている気もする。
レポートなどでメディアプランを考えてもらうと、今年からinstagramが急増している感じだ。学生だけではなく、20~30代でもアクティブユーザーは減少している気がしている。
さっきの記事にもあったが、facebook上ではニュースのシェアがたしかに増えている。妙な占いや、「いい話」は、まあいろいろと理由もあり減った気もするが、その代わりストレートなニュースが目につく。
それも「動物が駅長を務めてます」、とかではなくて政治が絡むものが増える。こうなると、中高年の独壇場になる。
なかには、特定のニュースに執着して、出所の怪しいものまでやたらシェアする人がいる。STAP細胞の時に気になったが、同じ人が五輪エンブレムで大活躍していた。 >> 若者のフェイスブック離脱は、中高年の「断言」が理由なのかな?の続きを読む
きっかけは今年の8月15日に寒川神社で行われた薪能を友人夫妻に誘われて観たことだった。こうしたイベントでは経験があったのだが、能楽堂に足を運んだことはなかった。クラシック音楽や落語、たまには歌舞伎や芝居、宝塚歌劇など、ならせば月に週に一度くらいはそうしたライブに出かけている。
ただ、能や狂言は圏外だった。行くのは古典系が多いのだが、それでも能はなかなか険しいものがある。さっきから、何度も「脳波」と変換されて、やっと「能は」と覚えてくれた。そんなものだろう。もっとも、脳波にも関心はないが変換ソフトにおいても能は縁遠いものらしい。
ところが、ここに来て妙に気になる。9月の国立能楽堂の公演や、先日の観世流の定例会にふらりと出かけてみると、これが結構おもしろい。いや、おもしろいという言葉より、「興味深い」というか、つまり英語のintrestingのような感じか。
まだ、遠巻きにしながら「この世界に入ってみていいんだろうか?」という感覚なのである。ちなみに、狂言はなんの障壁もなく楽しい。これは、想像以上だった。
能の観客は、想像通りに高い。国立の公演はチケット代も求めやすく若い人も目につくが、それでも相当に高齢者が多い。ファンが高齢化しているのはたしかだろうが、そもそも能は、一定の歳にならないときついかもしれないとも思う。
まず、全体的にゆったりと進むのだが、このテンポ感は若いうちには単に苛立ちにしかならないだろう。それが、それなりに心地よくなるのは加齢のせいかもしれない。
謡や楽器にしても、いろいろと聴いて来てはじめて「なんだこれは」という驚きがある。80分から90分くらいかかる演目が多いけれど、これは楽曲としては相当な「大曲」だ。それが、譜面もなく奏されていくことは、知識としてはわかっていても、やはり驚く。そして、謡の声が抵抗なく沁みてくる。 >> 能を観に行く。の続きを読む
なんか、パンテーンのCMでは、綾瀬はるかは16歳を懐かしんでいる。一般人のこの頃の写真がテレビに出るというのは、相当の事件の当事者になった時のことじゃないだろうか。しかも、30歳くらいの犯人の写真がいきなり高校生のアルバムだったりして、もうそこには哀愁しかない。
でも、この頃の写真までがどこか輝いていて、もう「勝ち組」ってこういうことなのかと感じてみたりする。
CMのコンセプトは単純で、「あの頃のバージンヘアの輝きへ」とストレートだ。
で、ふと似たようなトーンのCMを見た。クラシエのディアボーテの「ひまわり」というブランドだ。こちらは尾野真千子。
「私がまだおさげだった頃、髪はとても素直だった」というナレーションの後に、過去の“私”が「大人になったら素直じゃなくなるの?」と問う。
こちらは年齢をハッキリ言ってないけど、「おさげ髪」なら、やはり十代をイメージしているのだろう。
にしても、なんで、いきなりシャンプーのCMが申し合わせたように十代を懐かしんでいるんだろう?
カテゴリーは違うけれど、花王のビオレ「うるおいクレンジングリキッド」も過去を振り返っている。「メイク落とし。あの頃はオイルでがっちり落とすのが好きだった」というナレーションに重ねて、「20才」「21才」「22才」とそれぞれの歳の写真が映る。で、「いまはリキッドで」という流れだ。
そういえば、一年前には化粧品のCMに「マイナス5歳」が溢れている、というエントリーを書いている。
で、このように「かぶっちゃう」理由なんだけれど、リサーチが精緻になった結果、「たどり着いたインサイトが同じ」ではないかと推測している。インサイト(insight=洞察)という言葉は、マーケティングの現場では「普段は気づいてない消費者の本音」のような意味でつかわれる。ターゲットの年代は30歳前後のようなので、「今の自分の髪に思うことは?」「理想はどんな髪?」と尋ねる時に、花王のエッセンシャルのような「指通り」のような実感切り口というインサイトと、別のものを発見しようとしたら、同じところにたどり着いたんじゃないだろうか。
もう一つ、これも推測だけどリサーチや制作のスタッフが女性中心になってきているんだと思う。広告制作は長く男性中心の世界で、化粧品やファイントイレタリーの世界でも「男からみた美しさ」を描いてきた。ファッションでも似たようなところがある。
いまのCMにそういう男視線は本当に減ってきている。
ターゲットにとってのリアリティへの接近という意味では、現在のCMの方がより優れていると思うし効果も高いかもしれない。ただ、練れば練るほどアウトプットが類似することもあるということなんだろう。
ところで、男性向けシャンプーで目立つのは田辺誠一のルシードだ。こちらも年齢訴求だが、ずばり「40才からのニオイ」と、もう切羽詰ってるよ。ううむ、男にはもはや過去を懐かしむ余裕もそうそうないということなのかいな。