【夏の本祭り】相当季節外れの『クリスマス・キャロル』
(2015年8月11日)

カテゴリ:読んでみた

51xqpqpcIeL._SX351_BO1,204,203,200_[読んだ本]チャールズ・ディケンズ著 村岡花子(訳)クリスマス・キャロル 新潮文庫

相当に季節はずれなんだけれど、きっかけは先日書いた『帳簿の世界史』の中に、本作についての言及があったので気になったから。有名なストーリーで映像化もされているし、読んだ気になってはいるけれど、きちんとした翻訳でじっくり読むのは初めてだと思う。

本の紹介などを読むと、まあすごく短く言い切れば、「聖夜にドケチが改心する話」として捉えられているようだ。そして、それを案内する狂言回しが「幽霊」というあたりが、まあ話の仕掛けとしてはおもしろい。

でも、この主人公のスクルージという吝嗇家の言葉は、他人事のように笑って読み過ごせるわけでもない。

冒頭の方で、この吝嗇家が貧困者への寄付を求められるシーンがあるのだけど、彼はこんなことを言って断る。

「私はクリスマスを祝いはしない。なまけ者が浮かれ騒ぐためにびた一文出しはしない。私は監獄や救貧院のために税金を出してます――その税金だって相当なものになってますよ。暮せない奴はそっちへ行けばいいですよ」そしてこう続ける。
「死にたい奴らは死なせたらいいさ。そうして余計な人口を減らすんだな」

こんな考えを公言する人は、実際にはなかなかお目にかからないかもしれない。でも、ネット上の匿名のご意見では、この手の話が溢れている。

スクルージというのは、特殊な人間ではなく、誰だって「スクルージ的」な感覚はどこかに持っているのかもしれない。

今回読んでしみじみ思ったんだけど、このストーリーの主役はスクルージではないし、「改心」はメインテーマではない。主役は「クリスマス」だ。クリスマスを迎える最終章は、15ページほどの短い描写だけど、ここに登場する人々が何と幸せそうなことか。

日本のクリスマスはご存じのような有様だけど、いまでもキリスト教圏ではこの小説にあるような素朴な喜びがどのくらいあるんだろうか。感覚的なことだけど、相当変わってしまってるんだろうな。

でも、クリスマスがもうバカバカしいと思っている人は、12月になる頃にこの小説を読むことを薦めたい。「祝い方」によっては、クリスマスってやっぱり素晴らしいと思えるんじゃないだろうか。

ふと思ったんだけど、この小説に出てくる幽霊は、どこか落語の「死神」の幽霊と似ている。妙に分別臭くて説教好きだ。落語の妖怪や幽霊はどこか間が抜けていることも多いのだけど、「死神」は雰囲気が違うなぁと思って調べると、実はこの話は西洋の話をもとに創作されたという。道理で、どこか理屈っぽいわけだが、この小説でも幽霊までが自己啓発的なのは何とも西洋的ではある。