[読んだ本]マックス・ウェーバー著 中山元(訳)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(日経BP社)
いきなり私事であるが、僕の名前の直人というのは、聖書に由来している。旧約聖書の詩篇15編なのだが、クリスチャンだった祖母が命名した。祖母の親族に牧師がいて、結婚の際も司式いただいたし、たまには教会に行く。クリスチャンではないが、実際に行ってみると思った以上に現実の世界に関与する説話も多い。
ちょうど人事に異動してあれこれ考えていた頃などは、とても勉強になった。
で、「プロテスタンティズムと資本主義の精神」、いわゆる「プロ倫」だ。大学1年の時に読んだのだが、改めて思ったのは「これ、相当物議を醸しただろうな」ということだ。高名な本なので、まずは「理解しよう」と一所懸命に読んだのだが、今になって読み返すと結構大胆というか乱暴なところもある。
「禁欲という手段で節約を強制しながら、資本が形成されるのである」と言い切りつつ、「この作用がどれほど強力なものであったか、数字で示すことはもちろんできないが」と続く。
ただし、歴史の残る本というのは突っ込みどころが多いのもたしかだ。そして論争が多いほど、原著の威光を高めていくという面もあるんだろうな。
とは言え、この本は「キャリア」というものを考える上でも興味深い。いまキャリア論も含めて自己啓発書などの多くは米国発であるが、そのルーツはこのプロテスタンティズムと無関係ではない。現代においてはもちろん変質したところもあるが、本書で語られる天職、ドイツ語のberuf、英語のcallingの概念は今でも米国の勤労観の根っこにある。僕も米国の自己啓発文化に違和感を感じることはあるが、「働く」ことの意味が彼らの価値観の背骨になっているからこそ、目標に向かう時の力強さと合理性が生まれてくるのだろう。
一昨年の夏に「ロビンソン・クルーソー」を読み直した時にも、「あ、これはプロテスタントの勤労観そのものだな」と感じたが、本書でも最後の方で同書への言及があり、環がつながったようだった。
一方で、日本では二宮尊徳のような「勤勉」が大事にされた時代もあったが、現代ではそこにも違和感がある。 >> 【夏の本祭り】キャリア論の水源としての『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の続きを読む