[読んだ本]ジェシー・バートン著 青木純子(訳)『ミニチュア作家』(早川書房)
もう夏も終わるかのような陽気で、かつ世界経済大荒れ感の中で、もうちょっと現実離れした欧州の時代小説を二つほど。
まずは、『ミニチュア作家』という17世紀のオランダを舞台にした作品。著者は1982年生まれの英国の女優だが、経歴には「舞台に立つかたわら、シティで秘書として働く」とあるから、まあ売れっ子というわけではないのだろう。ところがこの作品は欧州では相当受けたようで、昨年出版されて32ヵ国で翻訳出版されて、英国の書店チェーンの「ブック・オブ・ザ・イヤー」受賞というのは、ちょうど「本屋大賞」といった感じだろうか。
アムステルダムの裕福な商人の家に嫁いだ18歳の娘を取り巻くちょっとミステリアスなストーリー。夫、義妹、使用人など皆が秘密を抱えているような空気の中で、物語はそのヴェールを一枚ずつはがしていくように進んでいく。
夫からの贈り物である、素晴らしいドールハウスと、それを「作っているらしい」ミニチュア作家の存在がストーリーの通底で謎めいた雰囲気を醸し出している。ただし、ミステリーというよりは、ファンタジー的な要素も色濃いため、あまりカッチリしたお話と期待してしまうと、肩透かしを食うかもしれない。
夫はオランダ東インド会社の一員という設定で、この時代のビジネスの雰囲気が伝わってくるのも面白い。レンブラントの絵を思い浮かべながら読むといいんじゃないかな。 >> 【夏の本祭り】欧州時代小説の魅力『ミニチュア作家』と『スウェーデンの騎士』の続きを読む
[読んだ本]アンドレ・ジイド著 川口篤(訳)『狭き門』岩波文庫
世間的に夏休みは明けたけれど、もう少し休み気分な感じで本の話を続けておこうと思う。
8月初旬の十日ほどの休みは、本を読みながらダラダラ過ごしていてメインは「プロ倫」だったんだけど、前半で無事攻略したので休暇先で古本屋に行った。
そこは結構ユニークで、福永武彦関連の珍しい本もあり批評関連を眺めていたら、氏の『草の花』と、ジイドの『狭き門』の関連に言及している本に出会った。『狭き門』は未読だったので、その本屋を探したところ岩波文庫を置いていたので、さっそく買って読んだ。
なんか、題からしていかめしそうだが、2時間あまりで読んでしまった。そのくらい、ストーリー構成は直線的だ。
最近の岩波だとごていねい表紙にあらすじが書いてあって、しかも「ネタバレ」である。だから、先に書いてしまうけど要約すると話自体はあっけない。
十代半ばの男性のジェロームが、2つ年上の従姉アリスに恋をして将来をともにしたいと思う。しかし「彼女は愛の行為を焦れつつも、神の国を求めるがゆえに、彼の求愛を拒み続けて苦悩のうちに死んでゆく…」。
ちなみに上記の「」内は岩波の表紙に書いてある。なんか、どうかと思いません? >> 【夏の本祭り】高名な本は名作なのか『狭き門』の続きを読む
8月の終戦の日が近づくと、テレビがやたらと戦争関連番組を流す。NHKのように、時間をかけて追い続けているような局はともかく、ついさっきまでから騒ぎをしていた民放の番組予告とか見ると、妙な押しつけがましさが先に立つ。慣れないスーツを慌てて着たら、ネクタイが曲がって滑稽になったような感じにしか見えない。
今年は戦後70年ということもあって、出版関係も早々と祭り状態だ。戦争という悲惨な歴史を販促にすることに、ためらうようなゆとりなどないんだろう。
何かのきっかけで、いろいろと本を読むことはいいと思うんだけど、ずっと問題意識を持ち続けられるか、という人は少ない。いまの安全保障の議論を見ていても、「にわか平和主義者」や、「即席愛国者」の言ってることは、相当に浅い。
いっぽうで、たとえば今の中学生に「戦争についての本」を選んで薦めるとなると、相当難しい。戦争は多面的だ。勝者がいて、敗者がいる。何年経っても、それぞれの思いがあって、論理がある。
だとすれば、その多面性をそのまま本にしたらどうなるか?というのがこの山田風太郎の著書だ。
開戦の昭和16年12月8日、終戦の年の8月1日から15日までの、さまざまな記録を編纂した本である。国内の記録もあれば、英米の回顧録もある。真珠湾攻撃の際の高揚が、高村光太郎、獅子文六、そして太宰治の言葉でつづられる。
そして、最後の15日は禍根の15日でもある。外交交渉と、組織内の意思決定が複雑に絡み合うが、二つの原子爆弾投下は防げなかったか?と改めて感じるし、一歩間違えば、「終戦」すらなかったのかもしれないと思う。 >> 【夏の本祭り】戦争の多面性を知るために、終戦の日に『同日同刻』。の続きを読む
[読んだ本]マックス・ウェーバー著 中山元(訳)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(日経BP社)
いきなり私事であるが、僕の名前の直人というのは、聖書に由来している。旧約聖書の詩篇15編なのだが、クリスチャンだった祖母が命名した。祖母の親族に牧師がいて、結婚の際も司式いただいたし、たまには教会に行く。クリスチャンではないが、実際に行ってみると思った以上に現実の世界に関与する説話も多い。
ちょうど人事に異動してあれこれ考えていた頃などは、とても勉強になった。
で、「プロテスタンティズムと資本主義の精神」、いわゆる「プロ倫」だ。大学1年の時に読んだのだが、改めて思ったのは「これ、相当物議を醸しただろうな」ということだ。高名な本なので、まずは「理解しよう」と一所懸命に読んだのだが、今になって読み返すと結構大胆というか乱暴なところもある。
「禁欲という手段で節約を強制しながら、資本が形成されるのである」と言い切りつつ、「この作用がどれほど強力なものであったか、数字で示すことはもちろんできないが」と続く。
ただし、歴史の残る本というのは突っ込みどころが多いのもたしかだ。そして論争が多いほど、原著の威光を高めていくという面もあるんだろうな。
とは言え、この本は「キャリア」というものを考える上でも興味深い。いまキャリア論も含めて自己啓発書などの多くは米国発であるが、そのルーツはこのプロテスタンティズムと無関係ではない。現代においてはもちろん変質したところもあるが、本書で語られる天職、ドイツ語のberuf、英語のcallingの概念は今でも米国の勤労観の根っこにある。僕も米国の自己啓発文化に違和感を感じることはあるが、「働く」ことの意味が彼らの価値観の背骨になっているからこそ、目標に向かう時の力強さと合理性が生まれてくるのだろう。
一昨年の夏に「ロビンソン・クルーソー」を読み直した時にも、「あ、これはプロテスタントの勤労観そのものだな」と感じたが、本書でも最後の方で同書への言及があり、環がつながったようだった。
一方で、日本では二宮尊徳のような「勤勉」が大事にされた時代もあったが、現代ではそこにも違和感がある。 >> 【夏の本祭り】キャリア論の水源としての『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の続きを読む
[読んだ本]チャールズ・ディケンズ著 村岡花子(訳)クリスマス・キャロル 新潮文庫
相当に季節はずれなんだけれど、きっかけは先日書いた『帳簿の世界史』の中に、本作についての言及があったので気になったから。有名なストーリーで映像化もされているし、読んだ気になってはいるけれど、きちんとした翻訳でじっくり読むのは初めてだと思う。
本の紹介などを読むと、まあすごく短く言い切れば、「聖夜にドケチが改心する話」として捉えられているようだ。そして、それを案内する狂言回しが「幽霊」というあたりが、まあ話の仕掛けとしてはおもしろい。
でも、この主人公のスクルージという吝嗇家の言葉は、他人事のように笑って読み過ごせるわけでもない。
冒頭の方で、この吝嗇家が貧困者への寄付を求められるシーンがあるのだけど、彼はこんなことを言って断る。
「私はクリスマスを祝いはしない。なまけ者が浮かれ騒ぐためにびた一文出しはしない。私は監獄や救貧院のために税金を出してます――その税金だって相当なものになってますよ。暮せない奴はそっちへ行けばいいですよ」そしてこう続ける。
「死にたい奴らは死なせたらいいさ。そうして余計な人口を減らすんだな」
こんな考えを公言する人は、実際にはなかなかお目にかからないかもしれない。でも、ネット上の匿名のご意見では、この手の話が溢れている。 >> 【夏の本祭り】相当季節外れの『クリスマス・キャロル』の続きを読む