ミュージカル「エリザベート」
脚本・歌詞ミヒャエル・クンツェ/音楽・編曲シルヴェスター・リーヴァイ
出演:花總まり・井上芳雄・佐藤隆紀・京本大我・剣 幸・尾上松也 他
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エリザベートは宝塚、東宝、さらには2007年ウィーンからの引っ越し公演を見に、1人で大阪まで行ったこともある。つまり好きな作品なのだが、98年の宙組公演で花總まりの「私だけに」というナンバーにすっかりはまってしまった。
あまり、こうした経験はないのだが歌の途中から涙が止まらなくなって、もうあとは完全に彼女の世界に支配されたという感じだった。いまだに理由がわからないのだが、彼女以外の歌で、同じような感覚になったことはない。エリザベートは優れたミュージカルだと思うから何度も見るけれど、花總まりを聞くというのは、まったく別のことなのだ。
で、今回もやはりいいように翻弄されてしまった。「私だけに」はもとより、開幕間もない幼少時代の「パパみたいに」にも驚いた。技巧的にも難しい曲だが、後の悲劇をどこかに予感させる無邪気な少女を演じきっている。晩年の森光子が十代の少女を自然に演じているのを見て仰天したことがあったが、それがプロなんだろう。
それにしても、花總まりがエリザを演じる時の凄味とはなんなんだろう。劇中のエリザベートのパーソナリティと、本人のそれがどこかで重なっているのではないかと、僕はずっと思っている。
「義務を押し付けられたら 出て行くわ 私」というフレーズでの緊張感。そして、「鳥のように 解き放たれて」へと歌われるときの。壮大な解放感。単に高音が伸びるという歌手はたくさんいるが、それを超越したものを感じてしまう。
というわけで、花總まりを聞きたい一心での観劇だったが、期待以上に楽しめた。最後まで緊張感が切れることはなく、カーテンコールで登場するときの姿を「神々しさ」といっても、さほど大げさではないかもしれない。
井上芳雄は十分に安定的だけれど、フォルテで音が割れるように聞こえることがあって、これはPAの設定の問題かもしれない。京本大我は、見た目の華はもちろん、想像以上に声に艶がある。松也のルキーニも歌はムラがあるが、胡散臭さがいい感じで漂ってる。東宝のエリザベートは高島政宏がずっと演じていて、掌中にしているといえばまあいいんだけど、ちょっと妙な方向に発酵してしまっていたので、キャストを代えたこと自体よかったと思う。
この公演は、もともと人気の演目だが開幕以降にさらに評判が高まっていったようだ。
今回の公演は、エリザベートが希求する「自由」という価値が改めて強くにじみ出たと思う。私事だけれど最初の「私だけに」を聞いたのが34歳の時で、その6年後に僕は会社を辞めたのだけれど、あの歌が何かを気づかせてくれたのかもしれない。
何日か経ってそんなことを思いながら、まだアタマの中をメロディーがめぐっているのだ。