新人の頃、お世話になっていた得意先の方が言っていたことが今でも印象的だ。
最近お忙しいですか?と尋ねるとこう答えた。
「忙しいならいいんです。いまは慌ただしいだけ。こういうのはいけません」
この方は外資系コンピュータ企業の物静かな方なのだが、時に大変に印象深いことをポツリとおっしゃるので、よく覚えている。
わざわざ「忙しい」と「慌ただしい」を使い分けている人は少ないと思う。その代わり、慌ただしいだけの人は、こんな言い方をしてる。
「いやぁ、いろいろバタバタしちゃって」
そう、「バタバタ」という表現。時には、物理的に「バタバタ」と音を立てる人もいるが、まさにこれが「慌ただしさ」なんじゃないかと思う。
たしかに、経営者などもの凄く忙しいはずの方はそんなに「バタバタ」していない。
いまにして思うと、「慌ただしい」というのは仕事の本質とは離れたようなことが多く、それに対して受け身で追われていることを言っていたんだと思う。一方で、「忙しさ」とはするべき仕事が多く、それをどんどん片づけなければならないが、ある程度主体性がある状況なんじゃないかと。
で、この「バタバタ」は自分の記憶では2000年前後から増えてきた記憶がある。どの職場でも人を減らした上にネットや携帯の普及したことも関係しているんだろう。
ちなみに僕は仕事のメールはあまり多くない方だと思う。一通もメールがない日もある。考えてみると「一応ご確認」のようなccが少ないからじゃないかな。
携帯で仕事を打ち合わせることも殆どない。それが必要な場合は、あらかじめメールで時間を確認してくれる方が多いので助かる。たいして忙しくもないが、少なくても慌ただしいことは少ない。
そういえば、先の得意先の人がこんなことを言ってた。この会社ではインターネットが一般化する十年以上前から社内にメールのようなシステムのようなものがあり、僕は「すごいですね。そのうちみんな使うようになるんでしょうか?」と聞いた時だ。
「結局コンピュータなんていくら発達しても、人の仕事は減らないし、もっと増えますよ。コンピュータっていうのは、新しい仕事作っちゃうんですよ。しかもコンピュータお守りする仕事はもっと増えるし」
30年も前から、見えてる人には見えていたのである。