2015年05月アーカイブ

弁当が燃えたらしい。

内閣府の「女性応援ブログ」がいわゆる「弁当」作りで有名な女性の記事をツイッターで紹介したところ、相当批判が寄せられたそうな。「プレッシャーがかかるだけ」と感じる女性は多いようで、そりゃそうだろうと思う。

お弁当というのは、日本人にとって単なる携行食ではないと思っている。多くの人は幼少期から、高校の頃まで母がつくった弁当を食べる機会も多く、それはまた食の記憶のなかでも独特の位置を占めていると思う。

少し前に東京ガスが弁当をテーマにしたCMを制作して話題になったが、あれは日本人の「弁当コンプレックス」のようなものを突いたんじゃないだろうか。

コンプレックスというのは、特定の事象と複合した心理だ。そして、日本人は弁当に、それぞれ固有の思いがある。それは子どもが遠足に行って、昼を迎える時の期待感かもしれない。また入試の日に、重圧の中で感じる優しさかもしれない。いっぽうで、どこか気恥ずかしさと一体になった記憶もあるだろう。

高校の頃だが、ときどき弁当を隠すように食べている人がいて、別にフツーの弁当なんだけれど、そういう心理もまた弁当がただのメシとは違うから生まれてくるんだろう。

このコンプレックスは、単なるマザーコンプレックスという記憶の心理とも異なる。やがて自分が親になると、弁当作りに直面する。そして、今度は作り手として「この弁当でいいのだろうか」と日々悩み頑張る。弁当箱を開ける期待があったからこそ、「気に入ってもらえるのか」という不安もまた湧いてくる。 >> 日本人の弁当コンプレックスと、褒めたがりの政府と。の続きを読む