いろいろな本を、それなりに読んできたと思ってはいるけれど、実際には相当の「名作」を読みそこなってきたこともたしかだと思う。
いっぽうで、そうした名作は「若い時に読むべきもの」という先入観があって、30歳を越した頃から「読み時を逸したのかな」という思いが強まり、そのままになってしまった本も多い。殊に、小説はそうだ。
福永武彦もそんな作家のひとりだった。いままでなぜ読まなかったんだろう?と思うが、理由は自分もわからない。縁がなかったのだろう。
この五月の連休に東京を離れて、とはいえあちこち回るような旅をするつもりもなく、たまたま入った古本屋で「忘却の河」と出会った。
『私がこれを書くのは私がこの部屋にいるからであり、ここにいて私が何かを発見したからである。その発見したものが何であるか、私の過去であるか、私の生き方であるか、私の運命であるか、それは私には分からない。』
この冒頭を読んだときには、純文学から遠ざかり気味だった自分には、少々の手ごわさを感じた。
半日で読んだ。そして、本に「読み時」などないのだと思った。
昭和39年、つまり自分が生まれた年に刊行された小説だが、50歳を超えて主人公の歳に近づいている。登場人物の、さまざまな思いが想像以上に自分の心の中に入ってくる。 >> 初夏の邂逅~「忘却の河」(福永武彦)の続きを読む
話をややこしくする人は、会社にはたくさんいるが、結構困るのが「オレは聞いてない」という人である。まあ、広告会社だとこんな感じだ。
「この間、オマエの部でサツキ製菓の競合プレゼン獲ったじゃん」
「おお、おかげさまで。やっぱ旬のタレント持っていくと強いね」
「で、ウチの部長がご機嫌斜めでさ…」
「なんで?」
「あのタレント、オークス電機でも起用しているわけよ」
「あ、そうかオマエの部の扱いだよな、たしか」
「そうそう。でさ~昨日タレント・プロダクションの社長に『このたびはおめでとうございます』とか、言われちゃって」
「ああ、まあ言うかもね」
「で、ご機嫌斜めなのよ」
「なんで?」
「ま、つまり『オレは聞いてない!』ってこと」
「でもさ、決定したの一昨日だし、事前には言えるわけないし」
「わかってるけど、まあ、先に言われちゃったときに『知らなかった』というのが、まずいわけで」
「どうすりゃ、いいのよ」
「ま、なんか適当に口実つくって、ほら『撮影スケジュールとかでご迷惑かけることもあるかもしれないんで、よろしく』とか」
「なんか、もう面倒くさいな~。」
という感じである。ま、どの会社でも必ずあるのだ。 >> 話をややこしくする人「オレ、聞いてないよ」の続きを読む
新人の頃、お世話になっていた得意先の方が言っていたことが今でも印象的だ。
最近お忙しいですか?と尋ねるとこう答えた。
「忙しいならいいんです。いまは慌ただしいだけ。こういうのはいけません」
この方は外資系コンピュータ企業の物静かな方なのだが、時に大変に印象深いことをポツリとおっしゃるので、よく覚えている。
わざわざ「忙しい」と「慌ただしい」を使い分けている人は少ないと思う。その代わり、慌ただしいだけの人は、こんな言い方をしてる。
「いやぁ、いろいろバタバタしちゃって」
そう、「バタバタ」という表現。時には、物理的に「バタバタ」と音を立てる人もいるが、まさにこれが「慌ただしさ」なんじゃないかと思う。
たしかに、経営者などもの凄く忙しいはずの方はそんなに「バタバタ」していない。
いまにして思うと、「慌ただしい」というのは仕事の本質とは離れたようなことが多く、それに対して受け身で追われていることを言っていたんだと思う。一方で、「忙しさ」とはするべき仕事が多く、それをどんどん片づけなければならないが、ある程度主体性がある状況なんじゃないかと。
で、この「バタバタ」は自分の記憶では2000年前後から増えてきた記憶がある。どの職場でも人を減らした上にネットや携帯の普及したことも関係しているんだろう。 >> 「忙しい」と「慌ただしい」の違いについて。の続きを読む
弁当が燃えたらしい。
内閣府の「女性応援ブログ」がいわゆる「弁当」作りで有名な女性の記事をツイッターで紹介したところ、相当批判が寄せられたそうな。「プレッシャーがかかるだけ」と感じる女性は多いようで、そりゃそうだろうと思う。
お弁当というのは、日本人にとって単なる携行食ではないと思っている。多くの人は幼少期から、高校の頃まで母がつくった弁当を食べる機会も多く、それはまた食の記憶のなかでも独特の位置を占めていると思う。
少し前に東京ガスが弁当をテーマにしたCMを制作して話題になったが、あれは日本人の「弁当コンプレックス」のようなものを突いたんじゃないだろうか。
コンプレックスというのは、特定の事象と複合した心理だ。そして、日本人は弁当に、それぞれ固有の思いがある。それは子どもが遠足に行って、昼を迎える時の期待感かもしれない。また入試の日に、重圧の中で感じる優しさかもしれない。いっぽうで、どこか気恥ずかしさと一体になった記憶もあるだろう。
高校の頃だが、ときどき弁当を隠すように食べている人がいて、別にフツーの弁当なんだけれど、そういう心理もまた弁当がただのメシとは違うから生まれてくるんだろう。
このコンプレックスは、単なるマザーコンプレックスという記憶の心理とも異なる。やがて自分が親になると、弁当作りに直面する。そして、今度は作り手として「この弁当でいいのだろうか」と日々悩み頑張る。弁当箱を開ける期待があったからこそ、「気に入ってもらえるのか」という不安もまた湧いてくる。 >> 日本人の弁当コンプレックスと、褒めたがりの政府と。の続きを読む
大阪都構想が住民投票により僅差で否決された。
翌朝にあると、facebookなどでは驚くほどいろんな声が飛び交っていたが、出口調査の年代別の賛否を見て「高齢者に負けた」という声が多かった。ただしよく見れば、事情は少々違うのではないか。
高齢層に反対が多いことはわかっていたはずなのだから、他の年代を「説得し切れなかった」ことが敗因だろう。今回もそうだが、選挙でも高齢層が投票率は高い。ただ若年層の棄権層がもう少し動けば、今回の票差は覆った可能性もある。高齢層に負けたというなら、不戦敗と言った方がいい。全国の人口推計でいえば、70代は20代より10%ほど多いが、それ以上に投票率の高さがものをいう。これは2年前にも書いておいた。
この際のグラフでは、実数で作っているが、出口調査では各年代とも「同じ幅」にしている。それだと実態がわからないけれど、そういうデータがどんどんシェアされてしまう。
ただし、ネットでは「老害」「シルバーデモクラシー」と言った方が、話が早いようだ。どういう切り口にすればアクセスが増えるかは、すぐにわかる。どんな調査でも若い方がネットをよく使うのだから、ネット上では「高齢者に押しつぶされる若者」という方が受けはいいのだろう。 >> 「老害」という言葉への引っかかり。の続きを読む