2015年04月アーカイブ

結構ネットなどでは取り上げられたので、知ってる人も多いかもしれないけれど、信州大学の学長が入学式で、スマートフォンについて述べられた。「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」という部分が記事の見出しになったせいで、やや誤解を受ける面もあるのだけれど、全体としてどう話されたのかを確かめておきましょうか。(サイトを読む)

「自らで考えることにじっくり時間をかけること、そして時間的にも心理的にもゆったりとすること」を強調されているわけで、その文脈でスマートフォンに言及したわけだよね。

実際問題として、「スマホをやめろ」と迫ったわけでないでしょう。要は、一つのメディアに頼り切りになるな、ということだと思うし、それは妥当だと思うんだ。

で、ここで、ちょっと別の切り口でスマートフォンについて考えてみたいんだ。

それは端末の「絶対的な大きさ」ということです。実はどんなに科学が進んでも、人間という生物の大きさはそうそう変わりません。もちろん時代によって変化はあるけど。

だから自分の体より大きい動物は犬でも怖いし、逆にチワワなら大丈夫、と思いますよね。

メディアも同じで、結構絶対的な大きさからの影響はあるはずです。新聞は相当大きな紙です。同じサイズのパソコンモニターはそうそう使ってないでしょう。そもそも、他の紙メディアに比べても大きい。そこに、でかい見出しをつければインパクトはあります。

一方で、スマートフォンは掌で片手で使える。もちろん、それが狙いです。ちょっと大きいタブレットになると、もう難しい。電車で経っている時に使えばすぐにわかります。ただ、スマートフォンばかり使っていれば、その画面のサイズですべての情報を処理する癖がつきます。パソコンであれば、チャートや文章を全体的に俯瞰できるけれど、スマートフォンでは難しい。また、デジタルと紙の本でも特徴は違います。僕は小説は電子書籍で読みますが、学術書などは紙の方が使いやすいと思ってる。ハイライトや栞は電子書籍でも可能ですが、ページをガバッとめくっていろいろと参照するには紙の方が使いやすいですね。

だから、なんでもスマートフォンでOKか?ということにちょっと疑問を持ってほしいし、折角だからいろんなメディアを体験しながら、自分なりのスタイルを作っていくのも、これからの学生にとって必要なことだと思います。

僕は紙の新聞をやめて2年以上になりますが、たまに紙の新聞を読むと、妙に暴力的に感じます。見出しなどの絶対サイズが無用に大きいんですよ。手に取って読むのには、全く不合理です。大きさ自体に権威性がある。

一方で掌のスマートフォンからの情報から、そうは感じない。自分の掌に収まるものは「愛おしい」感じがすると思うし、親しい人からのメッセージであればそれも強まるでしょう。そういう意味で、あの小さな端末は、持ち主だけで完結する小さな世界です。
ただし、大学時代に大切なのは、先の言葉にもあったように「考えることにじっくりと時間をかける」ということでしょう。だとすれば、その際には何が必要で何が不要か。
自分にとって目を向ける世界はどこにあるか、この先はそれこそ自分たちで考えてみてください。(2015年4月7日青山学院大学の講義より)