燃えたルミネCMと、想像力の罠。
(2015年3月23日)

カテゴリ:広告など

ルミネが燃えた。というよりも、引火爆発という勢いだったのか、魔の金曜日。わずか三行のお詫び文とともに、その動画はもはや霧の中にあるけど、CM炎上史には名を刻むことになった。

炎の中では、みんなが結構いろんなことを叫んでいる。遠巻きにしながら、「何もそこまで」と感じていた人もいるようで、広告の仕事をしている人が指摘していたことが何点かあったように思う。

まず「あれはシリーズのようだから、すべて見なくちゃ真の意図はわからないのではないか?」という声。また、「否定的コメントがついたからバイアスがかかって広まったのでは?」という人もいた。

まあ、その気持ちはわかるけど、やっぱり「作り手の論理」だと思う。

で、この炎上爆発案件は、広告の世界の作り手と受け手の意識ギャップが相当広がっていることを示したんだと思っている。

一言でいうと、広告制作側の「現実への想像力」が足りなかったということだろう。この想像力は、クリエイターに求められる「アイデア力」とはまたちょっと異なる。フツーの人の行動を観察して、言葉に耳を傾けること。自分とは異なる他者の心を想像して、その人たちとアタマの中で対話を続けること。

どこまで、それが行われたんだろう?もちろん、今回の企画自体は相当考え抜かれたものだろう。何度も何度も議論して時間をかけて、作られたものだということはよくわかる。だからこそ、惜しいと思う。

でも、想像力を重ねることは、またちょっと違う。さほど、難しいスキルは要らない。ただ、何度も何度も考え抜く謙虚さがいる。

自分はいま会社に勤めていない。でも、いろいろな職場で働いている女性がいて、それぞれがいろいろな思いを持っていることは知っている。心の奥底の本音までを聞いてるわけではないけれど、あの動画を見た時に「ああ、これじゃ違うだろ」というくらいのことはすぐに感じた。
広告主や制作者は、あの登場人物を描くことについて夢中になってしまったのだろう。彼女が、どのように変わっていくか?というストーリーは、きっとあの動画の中ではそれなりに完結していたのだと思う。

でも、広告は現実に関与する。悩む職場の女性の前に、玉木宏や福士蒼汰が現れるわけではない。そんな当たり前の、でも終わらない現実と向き合っている女性の気持ちを、広告主や制作者はどのくらい汲み取ろうとしたんだろう?

現実のセクシャル・ハラスメントはもっともっと陰湿で、それが戯画化された途端に、どれだけの嫌な記憶を思い出す人がいるんだろう?とは考えなかったんだろうか?どんなプロセスでああなったのか、不思議な気もする。

ぜひ、ルミネにはもう一度考え抜いたうえでの「はたらく女性へのメッセージ」をつくってほしいと思う。三行のお詫び広告ですべてを葬ったら、今までの素晴らしいポスターに申し訳ない。ましてや、制作した広告スタッフのせいにすることなどは、きっとないだろうと信じたい。

それを待っている人も、またいるはずなのだから。