日本人はISの人質になった事件の時に、いわゆる「自己責任論」への是非が話題になった。
こういう局面で「自己責任」という言葉が出てくること自体、海外から見ると「なぜ?」と思う人も多いらしい。
ただし、「だから日本人は冷たい」というのもピンと来ない。むしろ、それは日本人の多くが受けてきた「躾」から生まれる価値観に関係していると思ってる。
それは「人に迷惑をかけてはいけません」というものだ。
この教えに立てば、紛争当事国に出かけるというのは「人に迷惑をかける」可能性は高いのだから、そういう教えを受けた人たちにとって「よりによって…」という心境になるのだろう。
で、この「人に迷惑をかけない」というのは、いろいろと日本人の行動特性に関係しているのかな、と最近思うことがある。
ビジネスで考えても、この教えが自然に浸透している文化というのは、第二次産業においては相性がいいだろう。生産現場というのは、時間を守り、それぞれが自分の仕事をきちんとおこなうことが求められる。
ただ、その一方でこの教えが強すぎると行動が束縛されるようにも思う。何か思い切った行動をしようとした時は、それなりに迷惑をかける。若手が上司に反抗すれば、間に入った先輩に迷惑がかかる。内定を断れば同じゼミの後輩たちに迷惑がかかる。
もう、心配したらキリがない
まして、会社を辞めて起業しようなどとすれば、相当多方面に迷惑がかかる。
でも、起業して成功している人って、そういうことに無頓着な方なのではないか。部下の人使いが荒く、朝令暮改でてんやわんやとか。金借りても、予定通りに返そうとせず貸し手を困らせるとか。家族は放っとかれるし、友人も振り回されるし、もうあちこちに迷惑かけっぱなしの人はたくさんいる。賞賛されてる起業家の話を読んでも、そこから「人に迷惑をかけそうな行動」を除いたら、スカスカになると思うのだ。
僕は会社員時代、後輩に対して「もっと人に迷惑をかけろ」と言ったことがある。また「仕事では合法的加害者になれ」といった先輩もいた。
そして、「人に迷惑をかけない」というのが価値の最上位にはないので、会社を辞められたんだとおもう。それでも、できるだけ迷惑を減らそうとしたんで、最初に「辞めたい」と言ってから2年も時間かかったんだけど。
「人に迷惑をかけない」という教えのややこしいところは、それ自体を否定できないところだ。これは学校教育以前に、親の教えだろう。そういう躾をしている親を責めることは難しい。
そして「人に迷惑をかけない」というのは、多数がそう思っている社会ではよく機能する。ただ、そう思ってない人も世界にはたくさんいて、そういう中でこれからは生きていく。子どもの躾はともかく、「人に迷惑をかけるくらいがちょうどいい」ということを大人になる過程で伝えていかないと、そりゃいつまで経っても起業家は増えないだろうし、制度つくっても変わらないだろうと思うんだけど。