宝塚歌劇団 雪組公演
ミュージカル『ルパン三世 ―王妃の首飾りを追え!―』
原作/モンキー・パンチ脚本・演出/小柳 奈穂子
ファンタスティック・ショー 『ファンシー・ガイ!』
作・演出/三木 章雄
2015年2月24日 東京宝塚劇場
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宝塚歌劇の出し物にはいろいろと流れがある。完全な書き下ろしのオリジナル脚本、欧米のミュージカルの輸入物、そしてコミックやアニメの舞台化という感じだろうか。輸入物では「エリザベート」が人気で、コミックの舞台化は「ベルサイユのばら」が有名、というかこれは宝塚100年を代表する作品だと思う。
この原作も最近はゲームなどにも材を求めていて「逆転裁判」や「戦国BASARA」などが上演された。そして「ルパン三世」と来たわけだが、これは相当に手ごわい。人気原作ほど、粗探しをしたくなる人も多いから。
で、結論からいうととても楽しめた。冒頭は現代。マリーアントワネットが持っていた「王妃の首飾り」を盗もうとしたルパンと一行が、フランス革命前夜にタイムスリップ。ここで、王妃に出会うわけだが、当然彼女の運命は誰もが知るところ。
宝塚はベルばらを初めとして、フランス革命前後を舞台にしたものが近年とみに多いようだけど、マリーアントワネットは相当に「かわいい女」として描かれている。フランス革命はどういう視点で描くかによって、人物像も相当異なるけど、最近の宝塚はロベスピエールに悪役にまわってもらうようだ。 >> これぞ娯楽の王道。宝塚のルパン。の続きを読む
コピーライターの小霜和也君とは同期入社で、あまりゆっくり話す機会はないのだけれど、お互いが書いているものは読んだりしている。昨年『ここらで広告コピーの本当の話をします。』という本を出して、広く読まれている。その後、ネット上でもコラムを連載していて、先週末に掲載された「~最終章~おれたちの冒険はこれからだ!」を読んで、いたく共感したくだりがあった。
彼はコピーが持つ本質的なチカラが、ビジネスを変化させていくという視点で論じている。だから広告を「『作品』と呼ぶのをやめませんか。」という問いかけもしている。ビジネスモデルを変えなきゃ、今までの広告クリエイティブは厳しいんだということを明晰に語ったうえでこう書いていた。
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僕の言ってることは難しいでしょうか?
そういうことよりも、じつは古いコピーライター像を最も守りたいのは若者たちなんじゃないかと。
コピーライター目指すんだ!という思いが強い人ほど、「コピーライターとはこういうもの」という既成概念がこびりついてぬぐえないようです。
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この感覚はとてもよくわかる。それって、広告業界だけではなく、歴史の中ではよく見られてきた風景なんじゃないかと。アートや音楽の歴史を見ても、急速に潮流が変化していくと、必ずのように“反動”が起きる。古典への回帰、過去への憧憬。そうしたパワーは若い世代から発せられることが多い。
この構造自体は結構単純だと思う。若い人が「新しいもの」を志したら、まずその時代の大きな潮流に逆らおうとするだろう。そして、その流れを作っているのは、自分の親世代あたりになる。そこから振り子を逆に動かそうとした時に、その1つ上の世代に回帰しようとしていく。
ところが、時代の流れというのはそうそう甘くない。送り手であるアーチストが右だ左だと言ってる間に、受け手はどんどん違う方に行っている。潮流が変化しているのに、船の進路を議論していたら、結局は大海の中ではぐれるだけ。そうやって、衰退した芸術はたくさんある。
小霜君が指摘したように、広告を「作品」として語っている人々はまだまだ多い。でも、それは、過去のアーチストが内輪の議論に終始して、もっと大きな潮流を見落としたことと似ていると思う。
そして、新しいアートや音楽が受け手の支持によって広まったように、小霜君の主張もクライアント筋から高い関心と支持を得ているという話も、また符合する。
この現象は広告業界に限らない。かつて繁栄した業界ほど、まだまだ大きな「先人の像」がそびえている。ただ、その像が知らぬ間に亡霊になっていた、ということもまたしばし起きることなのだけれど。
使うと便利だが、結構危ないんじゃないかと思う日本語がいくつかあって、その一つが「時期尚早」というやつだ。
「あの案件の決裁どうなった」
「実は……」
「え?通らなかったの?」
「まあ、時期尚早ってことらしいんだよなぁ」
経営者やマネージャーにとって、これほど使いやすい言葉はないんじゃないか。「まだ、いいんじゃないか…」だと重みに欠ける。でも「時期尚早」は四文字熟語だ。ただ、「なぜ尚早」かはわからない。そして、いつが適切な時期かもわからない。でも、この便利な言葉で先送りにされて「ああ、あの時」!」みたいな案件は相当あると思うんだよね。
「時期尚早で否決された案件によって失った利益機会の総和」とか誰か計算してくれないんだろうか、と思う。結構あるんじゃないだろうか。
そういえば、子どものころからなんだか意味が分からない言葉に「背に腹は代えられない」という言い回しがある。背と腹は違うことはわかる。鰹のたたきを選ぶ時だって、違いは知ってる。でも、それが会話の中に出てくると、単なる「言ったもの勝ち」じゃないかと。
「部長!さすがにこのプランだとプレゼン勝っても利益が相当厳しいですよ」
「何言ってるんだ。背に腹は代えられないだろ!」
で、この場合プレゼンテーションに勝つことが「腹」なのかもしれないが、そもそもそんなこと誰も考えてない。これも切羽詰った時の、切り札だ。 >> いまどき「時期尚早」とかを耳にする会社ってどうなんだろう。の続きを読む
最寄りの駅はJRの車庫がある。乗務員が交代したり休憩したりするので、ちょっと変わった風景が見られる。
昼に定食を出す和食屋で昼から刺身を頼んでビールを飲んでいたり、なぜか14時からやってる居酒屋があったりするのも、実は変則勤務で昼に仕事が上がった人が結構いるからだ。そういう店には壁にJRのカレンダーがかかっていたりする。
時折、制服のままでランチを食べに行く人たちもいる。しかも、あの謎の四角いバッグを持ったままで街を歩いている。いったい、あれには何が入っているのか。
そう考えると、鉄道職員同士の世界って、なんだか不思議だ。どんな会話をしてるんだろ。
「いやあ~今朝の西行きの混み方はひどかったねえ」
「錦糸町の乗降があそこまでかかるとなぁ」
みたいな話だったりするんだろうか。
そういえば、昨年のクリスマスの朝に電車を待っていたら、若い女性乗務員が交代のためにホームの端で待っていた。そして、向かいのホームに上がってきた同年代の男性乗務員と目が合うと、笑って手を振っていた。男性の方がちょっと照れていて、なんかクリスマスもいいなあと思った記憶がある。 >> 「ウルトラマンスタンプラリー」で気になる、鉄道職員の世界。の続きを読む
日本人はISの人質になった事件の時に、いわゆる「自己責任論」への是非が話題になった。
こういう局面で「自己責任」という言葉が出てくること自体、海外から見ると「なぜ?」と思う人も多いらしい。
ただし、「だから日本人は冷たい」というのもピンと来ない。むしろ、それは日本人の多くが受けてきた「躾」から生まれる価値観に関係していると思ってる。
それは「人に迷惑をかけてはいけません」というものだ。
この教えに立てば、紛争当事国に出かけるというのは「人に迷惑をかける」可能性は高いのだから、そういう教えを受けた人たちにとって「よりによって…」という心境になるのだろう。
で、この「人に迷惑をかけない」というのは、いろいろと日本人の行動特性に関係しているのかな、と最近思うことがある。
ビジネスで考えても、この教えが自然に浸透している文化というのは、第二次産業においては相性がいいだろう。生産現場というのは、時間を守り、それぞれが自分の仕事をきちんとおこなうことが求められる。
ただ、その一方でこの教えが強すぎると行動が束縛されるようにも思う。何か思い切った行動をしようとした時は、それなりに迷惑をかける。若手が上司に反抗すれば、間に入った先輩に迷惑がかかる。内定を断れば同じゼミの後輩たちに迷惑がかかる。
もう、心配したらキリがない >> そろそろ「人に迷惑をかけない」を疑ったらどうなんだろ。の続きを読む