2015年01月アーカイブ

sports

「これからも応援よろしくお願いします、とは絶対に言わない。」

イチローが昨日の記者会見で、そんなことを言った。そして「応援していただけるような選手であるために、やらなければならないことを続けていくと約束する」続けたらしい。

イチローの発言自体は、全体に肩に力が入ったところもあり、この言葉も受け止め方は様々だと思う。ただ僕も「応援よろしくお願いします」には違和感を感じていて、あらためてその感覚を考える機会にはなった。

そもそも、選手と観客の関係を考えると、応援というのは「期待」を形にしたものだ。そして、選手は期待に応えることで、関係が持続する。で、期待に対しては、選手から観客へは勝利や美技と言った喜びが「贈与」される。また、この喜びは、何人で分け合っても分け前が減るものではない。だからこそ、スポーツは多くのファンを魅了してきた。

ところがいつ頃からか、選手はファンに応援を「依願」することになった。そうなると、今度は観客から選手に応援が「贈与」されるという関係になっている。

なんでだろうな~と思った時に、ふと気づいたのは「感動をありがとう」という言い回しだ。 >> イチローの発言で改めて考えた「応援よろしく」の件。の続きを読む



パワポ、つまりパワーポイントをやたら使うことの弊害って、みんな何となくわかりつつ、何となく使ってるという感じなのかもしれない。

別にMACだし、パワポじゃないよ、という話ではなく、広く「スライド」を使うことの問題点と考えてもらえばいい。僕自身、最初に使ったスライドのソフトはマックの「クラリス・インパクト」だった。当時の職場はマックが標準だったのだ。

90年代後半から、「スライドをつくってプレゼンテーション」というのが、ビジネスでも学校でも普通になってきた。僕も普通に使っていたのだけど、見直したきっかけは大学の講義だった。

パワーポイントを使って、要点を説明し、適宜データを紹介していたのだけど、最近、これをやめるようした。もともとは、就活で出席できない学生のためにスライドのpdfをオンラインで配布していたのだけれど、自分で話していて、いまひとつ広がりがない。

で、手元にメモだけおいて、ひたすら板書していくことにした。

これが、結構いい。というか、学生の集中度が上がっている。板書して話していると、何となく話が逸れるんだけど、その辺が意外と面白い話のようで、わざわざ講義の後に質問してきたりする。

しかし、あのパワポ、というかスライド文化は結局何が問題なんだろう? >> パワポって、結局何が問題なんだろう?と改めて考える。の続きを読む



auが年明けから、太郎尽くしだ。桃太郎、浦島太郎、金太郎が登場している。どこかに既視感があるなと思ったけど、桃太郎は昨年PEPSIで、浦島太郎は住友生命でそれぞれ出演実績がある。

で、気になるのは、なぜにこの太郎たち、というか昔話が結構CMに出てくるんだろうか?と。

彼らは現実の人たちではない。まあ、そういうCMはたくさんあるんだけれど、広告の役割は徹底して現実に関与することだ。CMがフィクションだろうと、「購買」という現実の行動のために、それは制作される。

だったら、起きうる現実をそのまま描くという発想も当然あるわけで、グーグルのAndroidやフェイスブックは、そうやってCMを作っている。そのあたりのことは、昨年こちらに「笑顔のコラージュ」と評して書いた。

でも、あのような無邪気な描写は、本当に受けいれられるのか。広告は「これはあなたのための情報だよ」と発信する。そして、世の中の多くが憧れる世界があれば、かつての成長期の日本なら「丘の上の白い家」でよかったかもしれない。

でも、それは難しい。「いかにもありそうな家庭」を描きたいなら、そこに「揺らぎ」を与える必要がある。言ってみれば「リアリティの揺らぎ」だ。

その手法で成功したのが、ソフトバンクだと思う。ごくごく普通の家庭でありながら、「お父さんが犬」という一点で、リアリティは揺らぐ。 >> なぜ最近のCMには、桃太郎とか昔話が出てくるのだろう?の続きを読む