GoogleのCMが流れている。androidをテーマにしたもので、笑顔の人々のシーンをつないで、間にキャラクターが入るこのCMだ。(リンク先Youtube以下同)
そういえば、こういう感じのCMって昔からあったし、また増えているような気がする。いわゆる「スライス・オブ・ライフ」の1つだろう。ただし、特定の人の暮らしを切りとるのではなく、短い時間でいろいろな人のカットをつないでいく。
iphoneなども、こうした感じのものが多い。たとえばスポーツにフォーカスしたこちらのCMなども、基本構造は同じだ。
そして、facebook。「友達」をストレートに前面に出したこのCMも結構目立っていた。
こういう企画が通る背景はいろいろあるんだけど、実は結構理屈っぽい作りになっている。android、facebook、iphoneなどが何らかの「課題解決に役立ってますよ」というメッセージなのだ。
なにも、課題解決なんて大袈裟に感じるかもしれないが、その象徴が「笑顔」だと思う。そう考えると、表現のトーンは異なるけれど「私たちのサービスを使えば幸せになれますよ」という点では、根っこは同じ。「こんな時にこれ」という理屈で、積み上げっていったことで、ああいう作りになるわけだ。
米国の企業が広告の企画を決めるプロセスは相当に理屈っぽいので、あの一つ一つのシーンも、ターゲット設定やらブランド価値設定などが、凝縮されていると思う。
それにしても、米国のネットメディアのCMが描くあの空気感は何なのだろう。何の影もなく、人の良心を信じて、つながることを無条件に肯定する。それが、メディアの提供する価値であることはたしかだけれど、見る者とCMの世界の間には曇りガラスが挟まっている気がしてならない。
もっとも、米国が世界中に輸出品目で最大のものは「モノやサービスを通じて得られる幸せ」という価値観だ。それは「消費を通じた幸せ」ともいえる。
あの笑顔のコラージュは、戦後の長いことCMなどを通じて日本に輸入されてきた。
ただ、もうそろそろ、その笑顔も「お腹いっぱい」な気がしている。それでも、どこか遠くの星のできごとのように、今日も笑顔のコラージュはテレビに溢れる。
もっとも、それは僕の感覚が変化したのかもしれない。あるいは時代の空気なのか。それとも、あの笑顔を素直に受けいれる人が多数派なのか。
そんなことを想いつつ「笑顔のコラージュ」の原点とでもいうCMを思い出した。
そう、コカコーラ。I FEEL COKEというスローガンのCMは、ちょうど入社した頃のキャンペーンだった。プレゼンの前に「コーラっぽいの一案入れておくか」ということが結構あった。
ただ、どこかで懐疑的にはなっていて、コンテをつくりながら「こんな爽やかなヤツどこにいるんだよ」と自分たちに突っ込みを入れていたことを思い出す。
あの時代を知らない人は、あのCMの笑顔をどう感じるのだろう。