新潟県加茂市の市長が「自転車は危ないから乗らないで」と呼びかける文書を配って、何かと議論になっているようだ。どうも、賛同する意見はあまりないようで、まあ、そりゃそうだと思う。
自転車に乗れない街づくりしておいて「危ないから乗るな」では、批判されて当然だだろうし、「代わりに市バスを使ってね」では突っ込まれても仕方ない。自動車道の建設には力を入れても、自転車は置き去りだったのだろう。ただ、これは日本全国で似たような環境になっていることだと思う。
で、ふと思い立って地図で加茂市の位置を確認して、「アッ」と思った。新潟内陸で三条の隣りになる。調べて確認すると「新潟三区」だったのだ。
新潟三区、というのは一定以上の年齢の人ならば記憶にあるのではないだろうか。ここは衆議院の旧中選挙区時代における、田中角栄の地盤なのだ。
角栄の政治には当然のように賛否があるけれど、雪国の貧農の家に生まれた角栄が、新潟の発展に尽力したことはよく知られている。そして、その手法は道路建設に代表される公共事業の誘致だった。そして、批判者からは土建政治と揶揄された。
とはいえ、雪深い地方で生活の足を確保することは悲願だったわけで、それを一概に悪とも言い切るのにもためらいがある。
ただ、振り返ってみると何か感慨深い。加茂市は角栄の講演会「越山会」発祥の地でもある。彼が郵政大臣の時に、年賀はがき懸賞の一等賞が加茂市の名産品である「桐たんす」になったこともあるらしい。
そして、角栄の全盛期から半世紀余りが過ぎて、加茂市は「自転車の走れない町」になってしまった。これが角栄の描いていた未来だったわけではないんだろうけど、その頃は彼に限らず、自転車がどこを走るかなんて考えてもいなかったのだろう。(というか道路交通法がまさにそうなんだけど)
それにしても一生懸命道路作って、その挙句が「自転車には乗らないで」ということになると、戦後の開発っていったいなんだったんだろうなとあらためて思ったりする。