弱者への加害者心理は、他人ごとなんだろうか。
(2014年9月11日)

カテゴリ:世の中いろいろ

全盲の女子生徒が、街で何者かに足を蹴られるという事件があった。また、盲導犬が何者かに刺されるという事件があった。

「弱者への加害」という意味で、相当の憤りを感じるけれど、その背景というか、加害者の心理が気になる。彼らは、普通の人では考えられないほど異常なのか。

それとも、誰もがそのような心理に陥る罠があるのか。

よく考えてみると、実は後者なのではないかとも思う。犯人像はわからないので、あくまでも自らを省みての推察だけど。

僕は視覚障害者に対して、イラッとしたことはない。ただし、よく考えてみると、常に「弱者」に対して優しい気持ちを持っているかというと、必ずしもそうとは言えない。

電車で高齢者がいれば、まず席を譲る。ただ、迷うこともある。夜の8時頃に仕事を終えた人で混んでいる電車に、酔った高齢者のグループが乗ってきた。風貌を見れば、席を譲ってもいいような年齢だ。

ドアの近くで賑やかにしていることもあり、席を譲る人はいない。でも、彼らが席の前に来たらどうしただろうか。仕事を終えて疲れている人たちに対して、酔った高齢者は弱者なんだろうか。僕は早々に電車を降りたが、もし自分の前に来たら迷っただろう。

自分の心理を分析すると、早い時間から酔っている高齢者は「守られている者」に感じたわけだ。そして、多くの乗客はそういう立場にない。

正直に言うと、その高齢者の集団を疎ましく感じてしまった。ただ、その時点で自分には半端な分別がある。酔ってようが遊んでようが、年寄りなんだから席くらい譲るよ、という余裕や寛大さはなかったことになる。

そう考えると、弱者への加害者もまた、決して強者ではないと思う。少なくても、聾唖者が「守られている」ことへの苛立ちがどこかにあるのではないだろうか。あくまでも推察だが。加害者ではあるが、相当な被害者意識があるのだろう。何の被害者は分かっていないまま、世の中に苛立っている。

妊婦が街で嫌がらせを受けるケースがあると聞いて、全く信じられなかった。でも、その場合の心理も同じかもしれない。

世の中から、守られている者に対する過剰な嫉妬。それが、事件の遠因ではないか。人々に心の余裕がなくなったから、と片付けるのは簡単だ。犯人を糾弾することも容易だと思う。

ただ、冷静に内省するなら、僕が酔った高齢者に対して感じたような心理の延長線に、今回の事件の背景があるように思う。だとすれば、自分も残酷な加害者になる可能性もあるのかもしれない。

「そんなひどい奴。信じられない」では片づけられない。この事件を取り巻く空気は、誰もが吸っている空気だ。他人事ではないように感じている。