日清食品の「カレーメシ」のCMなんだけど、表現のインパクトがすごいだけじゃなくて、そもそもTVCMってこういうことだよな~ということを改めて思ったりした。
内容的には昭和的なエッセンスがてんこ盛りで、それは多くの人が感じるだろうし、演出のキレも上手だなあと思う。
ただ僕が思ったのは、そもそも「広告はもっと唐突でいいんだ」ということだった。
どんどん効率化された広告プランは、ターゲットにとって必要な情報だけを届けようとするし、購買可能性の高い人を狙っていく。受け手からみれば、自分の欲求の文脈に沿った広告が届くようになる。
ネットではもちろんそうだし、マス広告も「適切な出稿」をしていく。
そしてクリエイティブも、そのメディアの文脈に沿って制作されていくようになってきたと思う。地上波を見ている時に、そのプログラムのターゲットになったつもりで見てみればすぐわかる。健康を気にする高齢者、家計を預かりつつ自分のダイエットが気になる主婦、ジャニーズが好きな中学生…というように。
そうすると、結構TVCMは有効な情報源となっていることに気づくはずだ。
ただし、自分にとってはなかなかそういう時間やチャンネルはないんだけど、おそらく「そもそもテレビを見ない人」ということになっているのだろう。(この文章を読んでいる人の多くも、そういう風に捉えられているかもしれない)
まあネットほどではないにせよ、テレビCMも相当効率化を突き付けられた結果、メディアとクリエイティブの両面で「最適化」が進んだと思う。
そうした「見たいものが届く安心感」それは、テレビに限らずメディアに対する大切なニーズだ。だからカツオはグレないし、サザエは不倫しないし、波平は脳梗塞にならない。
ただ一方で「見たこともない驚き」へのニーズもある。大事件の報道に多くの人が釘付けになるのが典型だろう。
TVCMは、「驚き」を与えることで20世紀の後半には広告の玉座を占めたわけだが、メディアの多様化の中で段々と「安心感」へとシフトしてきた。
当然ムダは減ってきたと思う。ただし、驚きたければネットに行く。そういうコンテンツがたくさんある。そしてテレビはますます冒険しなくなる。期首のバラエティを見ればよくわかる。
そんな惰性の日常に、カレーメシのCMは唐突に割り込んでくる。それはマス広告の特権だ。ネットを見ている時は何らかの目的を持っていることが多いので割り込みは不快になる。でもテレビ視聴者は、どこかで「割り込まれたい」願望を持っているはずなのだ。
スマートフォンのように、情報が24時間まとわりついてくる時こそ、文脈をぶっちぎったようなCMがいいんじゃないか。カレーメシを見て思ったのはそんなことである。