2014年04月アーカイブ

ネットでの検索や訪問履歴を活用した広告も増えてきて、「アア、あの時の履歴をもとにしてるんだなあ」とわかることがメッキリ増えた。特にネット業界の外にいる人や学生と話していると、実感する。

とあるCDショップもよく出てくるようになった。自分の嗜好をよく知ってるなあと思う。ただ、分析が的確すぎるのか、薦められるディスクはだいたい持ってたりする。がんばれ。

ただ、明らかに「狙われてる」と感じることを、「ああ、なるほど」と流せる人もいるが「気持ち悪い」という人もいる。厄介なのは、この気持ち悪さだ。ビッグデータにおける個人情報の問題は、「守られるかどうかだけでは済まない。僕はその辺りには頓着しないほうだし、データの活用が相当なムダを減らせることもアタマでは理解しているつもりだ。ただ、最近ちょっと「気持ち悪い」経験をした。

時折、というか何かの拍子にYouTubeで猫の動画をみることは多い。その時も、猫の動画を見て和んでいたのだが、いきなり画面下方にこんな広告が出たのだ。

「イオンのペット葬」

猫の動画と「ペット葬」の文字の組み合わせは、相当に強い。猫というコンテンツに合わせたのか、自分の履歴から読んだのかはわからない。いずれにせよ、狙われているのだろうけど、ちょっとそういう問題ではない。

別にターゲティングしなくても「ペット葬」は、プッシュ型の広告にふさわしくないよなあ、と。

>> 猫動画見てたら「イオンのペット葬」がプッシュされたよ。の続きを読む



日清食品の「カレーメシ」のCMなんだけど、表現のインパクトがすごいだけじゃなくて、そもそもTVCMってこういうことだよな~ということを改めて思ったりした。

内容的には昭和的なエッセンスがてんこ盛りで、それは多くの人が感じるだろうし、演出のキレも上手だなあと思う。

ただ僕が思ったのは、そもそも「広告はもっと唐突でいいんだ」ということだった。

どんどん効率化された広告プランは、ターゲットにとって必要な情報だけを届けようとするし、購買可能性の高い人を狙っていく。受け手からみれば、自分の欲求の文脈に沿った広告が届くようになる。

ネットではもちろんそうだし、マス広告も「適切な出稿」をしていく。
そしてクリエイティブも、そのメディアの文脈に沿って制作されていくようになってきたと思う。地上波を見ている時に、そのプログラムのターゲットになったつもりで見てみればすぐわかる。健康を気にする高齢者、家計を預かりつつ自分のダイエットが気になる主婦、ジャニーズが好きな中学生…というように。

そうすると、結構TVCMは有効な情報源となっていることに気づくはずだ。
ただし、自分にとってはなかなかそういう時間やチャンネルはないんだけど、おそらく「そもそもテレビを見ない人」ということになっているのだろう。(この文章を読んでいる人の多くも、そういう風に捉えられているかもしれない)

まあネットほどではないにせよ、テレビCMも相当効率化を突き付けられた結果、メディアとクリエイティブの両面で「最適化」が進んだと思う。

>> 割り込みこそがCMの特権。カレーメシの爆発力の続きを読む



僕はレストランで写真を撮ることはしない。特に考えあってのことではなく、出てきたものはすぐに食べたい、というだけの話だ。もっとも旅先で写真を撮ることも少ないし、とっても整理しないので写真自体に興味がないんだと思う。

レストランについての写真撮影は意見が分かれる。最近、ある有名レストランのシェフが「禁止する店があるなんて」と言ったことで、それがまた議論になっているのを見た。

僕は「ご遠慮ください」という店があれば止めればいいと思う。しかし、それが気に入らない人も多いようだ。

そういう声を見ていると「写真をSNSに載せてコメントをもらうことが最高に嬉しいのに」というようなものが結構ある。そういう人にとって、もう、レストランは食事をするところではなく、何らかの社会的承認を得るための場ということなのだろう。

メディアの変化は、人間の欲求を変形させるものなんだなあ、と。

ただ一方で、「迷惑かけなければいいし、店側に権利はない」というような理屈をこねる人もいるようだ。

>> レストランで、どうしても撮りたい人々。の続きを読む



(2014年4月15日)

カテゴリ:遊んでみた

disney2月のとある平日に、東京ディズニーランドに行った。10年ぶりくらいだと思う。

人に話すと「姪っ子と行ったの?」とか言われたりする。つまり、意外に思われるようだ。

この日は妻と行ったのだが、以前はもっとよく行っていた。休日は嫌なので、平日に有休をとっていく。会社員時代は決算直前に休んで、ウェスタンランドの岩陰の公衆電話で請求の件で電話していたりしたこともあった。

今さら謝っても仕方ないが、ホント申し訳ない。

よせばいいのに、朝の開演前から並んで花火まで見ていた。ほぼ12時間である。ファストパスを使って、人気のアトラクションにはすべて乗れたし、スターツアーズは二度体験してダースベーダーも拝めた。さすがに疲れて、「年寄の冷や水」という言葉を初めて実感した。

ところで、この写真は1996年に蒸気船マーク・トウェイン号を操縦した時の証明書だ。その頃は、待ち合わせ場所で「操縦したいんですけど」というと上階の「操舵室」に案内されて、こういう証明書をもらえたのだ。上がれるのは一回に一組である。

運転室に入って「さあ、ぶつかんないようにしてください」と言われながら舵輪を回すのは貴重な体験だったが、カメラをクルマに忘れてディズニーのキャストに「エ~!?それはないでしょ」となじられるという、さらに貴重な体験もした。

>> 10年ぶりのディズニーランドで。の続きを読む



今年の就活もどんどん進行しているようで、内定を出しているところも多いし、大手では面接が本格的に始まっているようだ。

話を聞いてて気づいたんだけど、企業が「求める人材」って大きく変わらないんだけど、就活の「ツボ」みたいなのはジワジワ変化している。

最近で言うと「学生自体に挫折から立ち直った経緯」というのが、段々と薄まっている。というか、そもそもESに「挫折体験」を書かせている企業があったのも不思議な話だ。

そもそも、ESなどで「挫折体験」が入ってきた経緯というのも、何とも日本らしい“予備校文化”のおかげだと思っている。

既に十数年前から「挫折体験」を持っている学生というのは、採用側としては狙い目だった。体育会の学生でも、単に強ければいいというわけではない。レギュラーになれないで、下積みや裏方をやっている方が、社会人的には「あり」だったわけだ。

それが、段々とポピュラーになった。これは

①ESで達成体験を書かせるようになる→②みんな同じになる→③一度挫折してからの取り組みを書きましょう

ということがマニュアル化されて、そこでESに挫折体験を書かせるようになってしまったのだ。

ところが、これがまた同じになる。そりゃそうだ。今の教育システムと社会の中で、大学を出ようとしているのだから挫折と言ってもそんな劇的な話はない。かといって、恋愛の話書かれても困るし、書く方も嫌だと思うし。

それより最大の問題は、選考の本来の目的がすっ飛んだこと。

>> 就活に「挫折体験」はいらないと思う。の続きを読む