宝塚歌劇団宙組
『翼ある人びと―ブラームスとクララ・シューマン―』
作・演出/上田 久美子
2014年2月26日 日本青年館大ホール
ブラームスの才能を見出したシューマンは「新しい道」と題した評論で、彼を称えたというけれど、今回の作・演出の上田久美子さんも、まさに「新しい道」だと感じた。
僕はクラシックを聴くし、就中ブラームスは大好きなので、むしろこの公演は気になりながらも迷っていた。ところが関西公演のリハーサルをCS290chのスカイステージで見ているうちに、「もしやかなり面白いのでは」と予感したのだが、想像をはるかに上回る、素晴らしい舞台だった。
若いブラームス、彼を見出したシューマン、そして妻のクララ。ブラームスはクララに恋心を抱いたのではないか?というのはずっと謎として語られていた。このストーリーも一歩間違えるとただのメロドラマになる題材なのだけれど、そんなことは全くなかった。
なぜか?というと、この時代の作曲家の苦悩がていねいに描かれていることで、とても骨太な構成になったからだと思う。
19世紀欧州、とりわけドイツ語圏の作曲家の悩みを一言でいえば「ベートーヴェン・コンプレックス」ということになるだろう。あまりにも偉大であり、超えられない存在としてベートーヴェンは彼らに重くのしかかっていた。
この舞台に登場する、シューマン、ブラームス、リスト、ワーグナーはおなじプレッシャーの元で、それぞれ異なる道を歩んだわけだった。
ことに、ブラームスは二重の意味で煮え切らない。音楽上の逡巡、そしてクララへの思い。クララへの恋慕が史実かどうかはさて置いても、実際に彼は生涯独身だった。そして、この煮え切らなさが、その音楽の魅力でもある。
そしてこの辺りの逡巡に、とても説得力がある。それは構成の巧みさにもよるのだろう。
この作品では「ベートヴェンの亡霊」のようなキャラクターが現れて、ブラームスと話をする。最初はコミカルな印象を受けるのだが、実は演出的にも大変うまいことにきづく。
「私は君の幻影ではない。君が私の影なのだ」
そうベートーヴェンに言われたブラームス。そして、このキャラクターはラストにおいてきわめて絶妙な演出の伏線となる。
上田久美子さんの言葉は本当にきれいだ。いまの宝塚歌劇でこれだけ言葉を大事にしている人がいるだろうか。それに、何よりも文化史への造詣がとても深い一方で、巧みな構成と演出で、楽しめるエンタテイメントを作り上げている。
ウエダの時代が来て、もはやウエダの時代ではない。ああ、この文章の漢字は、ぜひ好きなものを入れて、読んでいただければいい。