2014年02月アーカイブ

で、今回の佐村河内氏の騒動を振り返った時、少なくても彼の音楽が「人の心を動かした」ことはあったわけなのだろうが、そのことについてはあまり論じられてない。「全聾」や「親が被ばくした」などの情報があったからだ、ということを指摘するのは簡単だけど、実はクラシック音楽の抱える問題点をあぶり出した気もするのだ。

僕はNHKのテレビで見たのだが、スペシャルではなくて報道番組の一部だった。だから彼の曲を長い時間耳にしたわけではないが、たしかフィナーレの音を少し聞いた時にマーラーの3番を思い出した。

「ああ、このパターンなんだな」と思ったので、僕はそれ以上興味を持たなかった。こう書くと、彼が書いたとされる曲は水準が低いかのように思われるかもしれないけれど、そういう意味ではない。ここで書きたいのは、自分も含めてクラシック音楽を聴く人間の感性や業界の常識が、どこか行き詰っているんじゃないか?ということなのだ。

クラシック音楽というのは、「昔の曲」に聞こえるかもしれない。実際にほとんどの演奏会では「昔の曲」が演奏される。ところが作曲界については、全然「昔のような曲」は作られない。19世紀末ごろから、いわゆる「調性」が消えて行き、つくられる曲はドンドン聞きづらくなっていった。

なんだか、「フヒャ~ン」とか「キィ~ン」みたいな音楽である、といえばわかるだろうか。

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