都知事選の最初の記憶は、1971年だ。小学校2年になる頃なのになぜ覚えているかというと、選挙戦が派手なイメージ選挙だったからだ。美濃部陣営は「青空バッジ」をシンボルにしていて、たしか対抗馬の秦野章も他のデザインのバッジを配ったように思う。
この辺りは、たしか「三色バッジ」だったか少々記憶が怪しいのだが、いまにして思うと米国大統領選のようなやり方を日本の選挙に持ち込んだ初めてのケースだと思う。
続く75年はよく覚えているが、石原慎太郎が挑んで敗れた。この辺りの経緯は沢木耕太郎の「馬車は走る」で後に読むことになる。
中学校の卒業式の頃が次の都知事選で、鈴木俊一という、とても地味な人が出ていて、何だかつまらなかった感じがしたことも覚えている。
こうやって都知事選を、その投票率とともに振り返ってみると、幾つかのことがわかる。
まず、出馬した現職が敗れるということはない。
毎回派手な騒ぎになるけれど、一度なった知事は強い。その結果、再選されれば三期以上務めている
そして、何だかんだいって保守が強い。
1995年の青島幸男の当選がまだ記憶にあると、「何かが起きる」というイメージがあるかもしれないが、意外と「普通の選挙」なのである。
また投票率を見ると、50%を挟んでうろうろしている。青島知事の時も「無党派が動いた」というより、低投票率の中で相対的に勝ったような感じだ。前回は衆院選に重なったので例外的だと思う
つまり、メディアの騒ぎが先行する割に都民は結構覚めている。今回など、「投票したい」という他道府県の人も多いだろうし、そういう人から見ると「棄権なんてもったいない」と思うかもしれないが、まあ、それが東京人なのだ。
このあたりは、東京都民の妙なインサイトがあると思う。
1つは、往々にして国政の代理戦争のようになることへの複雑な感覚だ。たしかに東京の稼いだ富は、すべて東京のものになるわけでもなく、そのインフラは東京都民以外のためにも役立っている。
首都だから当然だし、それがイヤだというわけではない。ただし、知事選のたびにあちこちから東京に土足で乗り込んでくるような政治勢力に対する感覚的な忌避感がある。自民党などは、これで複数回痛い目にあっている。
もう1つは、都民にとって「東京都の役割」が意外とよくわからないことだ。各市はもちろん、特別区もそれなりの独自政策を持っているので保育園の問題なども、区によってかなり異なる。このあたり、行政権限の範囲とかよく分からないまま選挙になっているので、毎回争点がいま一つ分かりにくい。
これからでもいいので、もう一度「都政と生活」の関係を明らかにして、実現プロセスを説明する候補者がいれば、まずそこに投票したいけれど。
ちなみに、最近気になるのは東京に「集まれる広場」がないことだ。ワールドカップや元旦にハチ公交差点の騒ぎが問題になるけど、そもそもクルマを気にせず集まれる広場をどこかに設けてくれないだろうか。「おもてなし」の前に、まずは自分たちの騒げるところが欲しいよな、と思ったりしている。
ちなみに、都知事選と聞いて思い起こす小説が原寮の「そして夜は甦る」だ。あの「兄弟」を彷彿とさせる候補者も出てくる。