忠臣蔵はいつまで共感されるのかなあ。
(2013年11月18日)

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2013年11月13日 歌舞伎座 夜の部

歌舞伎座新開場柿葺落 吉例顔見世大歌舞伎
「仮名手本忠臣蔵」
五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
     同   二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場
七段目 祇園一力茶屋の場
十一段目 高家表門討入りの場
     同 奥庭泉水の場
     同 炭部屋本懐の場
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新しい歌舞伎座には先月初めて行ったのだけれど、やはり気になって今月も足を運んだ。今月から来月にかけて、二カ月にわたって「仮名手本忠臣蔵」というのは、25年ぶりだという。
この演目を見るのは、「平成中村座の5年ほど前の興行以来だ。
開演前に中村福助が体調不良で休演とのアナウンス。代役は芝雀となる。どうもあちこちに無理がかかっているようにみえる。だったら彼らを出せばいいのに、と思うのだが、まあ大人の世界にはいろいろあるようで。
菊五郎の勘平、吉右衛門の大星由良之助と、安定感は十分の舞台である。ただ、吉右衛門の声の通りがあまり良くなかったのが気がかりではある。
見終わってから感じたのは、この忠臣蔵というお話は果たしてこれからも日本人の中で「定番のお話」であり続けるのかな、ということだ。歌舞伎をはじめ、芝居や映画、ドラマで忠臣蔵ほど取り上げられたものはないだろう。
ただ、自分の中でも、既にこのストーリーへの共感性は薄い。刃傷沙汰を起こす塩谷判官(つまり浅野内匠頭)から、四十七士の行動にいたるまであまりにも様式化されているからだろう。
そういう意味では池宮彰一郎の「四十七人の刺客」は、面白かったのだけど、歌舞伎となるとそうも言ってられない。


特に、五段目から六段目の勘平というのは、結構な粗忽である。いろいろと突っ込み始めると、きりがない。もっとも、古典作品というのは、粗忽から起こる悲劇というのは結構ある。
「ロミオとジュリエット」のラストもかなりそそっかしい。私的に「それはないだろ」と突っ込みたい粗忽ナンバー1は、ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」に出てくるアズチェーナだ。いくらなんでも仇の子どもと間違えて、自分の子を火にくべるか?
まあ、スターウォーズだってアナキンが粗忽だったために、最後はダースベイダーになってしまうお話、という見方もできるけど。
古典のストーリーを突っ込み始めるとキリがないのだけれど、自分より若い人や外国人などは、歌舞伎など日本の「お約束」をどこまで受け入れていくのか。
なお、十二月にお軽を演じる玉三郎がインタビューで「テンポよく演じたい」と言っていた。以前に比べると、舞台が長くなっているらしい。
その辺りも含めて、歌舞伎は筋書きも演出もいろいろと考えなくてはいけないことも多いように感じている。杮落しの熱気がいつまでも続くわけではないのだから。