2013年10月28日 サントリーホール
ヨーヨー・マ チェロ・リサイタル
A.A. サイグン パルティータ
J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV.1007
M. オコナー アパラチア・ワルツ
J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV.1008
(休憩)
G. クラム 無伴奏チェロ・ソナタ
J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV.1009
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そもそも、バッハの「無伴奏」は、どんなシーンで、誰のために演奏されることを想定していたのだろうか。「無伴奏」に限らず、バッハの世俗曲を聞くとそんな想いが頭をよぎる。
そして今回の来日公演で、ヨーヨー・マのコンセプトは明快だったと思う。
「無伴奏チェロ組曲をコンサートで奏でるための最良の方法」を、考え抜いたのだと思う。
プログラムは、上記のとおり。サイグンとオコナーの後は、休みなくバッハへと入っていく。クラムの後は拍手を受けたが、座るやいなや、ざわめきの中をあの下降音階が駆け降りる。
つまり、バッハ以外の曲が、バッハと一体となって奏でられる。その結果、これば紛れもなくライブであることを実感できるのだ。
「無伴奏」の6曲は、上等な肉を部位ごとに6皿出すようなものだ。おいしいが、続けて食べてどうなんだろうという感じもある。そこに、絶妙の前菜を組み合わせた。
無伴奏だけをひたすら聴くと、曲を聴くのではなく「バッハ」という存在の重みを、良くも悪くもずっしりと体験することになる。しかし、その束縛から解放されたことで、それぞれの曲の、軽やかさやダイナミズムが浮き彫りになった。
以前も感じたが、ヨーヨー・マはコンサートではスロー・スターターだと思う。この夜も、第2番くらいから音が伸びてきた。休憩後の3番は、楽器の鳴りもさることながら、彼の気持ちも乗ってきたようで、より自在にな。
無伴奏を、歌っていた。
特にサラバンドが圧巻で、ブーレからジーグにかけてはソナタのフィナーレを聴いているようだった。
もっとも、これは演奏者の狙いだと思う。「コンサートで奏でる」ことを追求しているのだろうか、3つの組曲はどれもジーグに向かっての組み立てがしっかりしていて、キッパリと弾ききっていた。
アンコールはなかったが、この構成ではそれがもっとも自然だったのだろう。
なお、翌日は最後の6番に続いて、アンコールとして「鳥の歌」が演奏されたようだ。ニュースでも報じられたが、東日本大震災の被災地の立木で作られた楽器で奏でられたという
。きっと、この最後の一曲まで含めて、周到に用意されたプログラムだったのだ、と改めて思う。