2013年10月28日 サントリーホール
ヨーヨー・マ チェロ・リサイタル
A.A. サイグン パルティータ
J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV.1007
M. オコナー アパラチア・ワルツ
J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV.1008
(休憩)
G. クラム 無伴奏チェロ・ソナタ
J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV.1009
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そもそも、バッハの「無伴奏」は、どんなシーンで、誰のために演奏されることを想定していたのだろうか。「無伴奏」に限らず、バッハの世俗曲を聞くとそんな想いが頭をよぎる。
そして今回の来日公演で、ヨーヨー・マのコンセプトは明快だったと思う。
「無伴奏チェロ組曲をコンサートで奏でるための最良の方法」を、考え抜いたのだと思う。
プログラムは、上記のとおり。サイグンとオコナーの後は、休みなくバッハへと入っていく。クラムの後は拍手を受けたが、座るやいなや、ざわめきの中をあの下降音階が駆け降りる。
つまり、バッハ以外の曲が、バッハと一体となって奏でられる。その結果、これば紛れもなくライブであることを実感できるのだ。
「無伴奏」の6曲は、上等な肉を部位ごとに6皿出すようなものだ。おいしいが、続けて食べてどうなんだろうという感じもある。そこに、絶妙の前菜を組み合わせた。
無伴奏だけをひたすら聴くと、曲を聴くのではなく「バッハ」という存在の重みを、良くも悪くもずっしりと体験することになる。しかし、その束縛から解放されたことで、それぞれの曲の、軽やかさやダイナミズムが浮き彫りになった。
また、偽装だ。また、というより久方の偽装ニュースという感じだ。
いつ頃だったかな、と思って調べると2007年だった。ミートホープに端を発して、「赤福」「白い恋人」と続いた。
やっぱり、というか今年が2007年に似ているということを書いたけれど、こんなところまで似ているとは、とちょっと驚く。
以前も出した写真だが、今年の5月の日経を電子版で読んだ後に、たまたま出てきた古新聞が酷似していて驚いた。簡単にいうと、ちょっとした”プチバブル”な感じが似ているのである。
「バブルへGO!」という映画も2007年で、アラフォーとかもこの頃から出てきた言葉だ。
いまはプチバブル、というほどでもないがリーマン・ショック以降では一番浮かれているとは思う。じゃあ、なんで偽装が出てくるんだろう?
ここから先は、仮説というより全くの思いつきなので、あまり突っ込まないでほしいのだけど、このプチバブル的な気分と関係があると思うのだ。
今回のホテルのメニューが発覚した経緯はよくわからないのだが、2007年の一連の事件は内部告発だったと言われている。まあ、そうでもなければ出てこない話だ。
「ちょっと景気がよくなったので、調子に乗った」とか「それなのに現場は大変になるばかり」というバランスの崩れが起きて、いろんな不祥事がばれていくのだと思う。
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大学生など若い人がネットに過度に依存している「情報偏食」の話をすると、必ず疑問が聞かれる。
「じゃあ、マスメディアはバランスがいいんですか?」
これに対しては、「ジャンクフードより定食の方がいい」としかいいようがない。ただ、この定食もかなり癖が強くなっている。新聞も社によって、かなりスタンスが変わる。皆が同じよりはましかもしれないが、何かこう頑固というか極端な感じが強い。
新聞などはさまざまなカテゴリーのニュースを掲載しているという意味では、たしかにバランスのいい定食に見えるが、味つけや盛り付けは、それなりに偏っている。
僕はたまたま妙ないきさつから、高校生の頃からしばらくは家で3紙もとっていたし、その後もメディアに近い仕事していたので、癖は大体わかる。というか、新聞を若いころから読んでそれに対する批判も知っていれば、だいたいバイアスを自分なりに制御するだろう。
「ここの漬物は塩がきついから残す」「この揚げ物は全部食べると重すぎる」とかいうようにで食べる感じだ。
つまり、新聞の記事もすべて読み込むわけではないし、論説を鵜呑みにするわけでもない。
中には極端な味付けが癖になる人もいる。原子力発電関連の記事などが新聞によって極端になるのは、「もっと刺激がほしい」という客が一定数いるからだろう。まあ、その結果どうなるかはともかく。
一方で、ネットで好きな情報ばかり集めるのはジャンクフードみたいなものだ。米国にcomfort foodいう言葉があって「心地よい食べ物」なんだけど、これはホットドックやハンバーガなどを指す。日本だったら、それに加えてラーメンや牛丼だろうか。
先日、久しぶりにリアル書店に行った時のことを書いたら、昨日は神戸市内で中核書店が閉店したというニュースがあった。記事はこちらだが、ネットでも話題になっている。問題点はこちらの声の通りだろう。
記事の中で「ネットの”おすすめ機能”」が上がったことで、書店の優位性が脅かされたというが、僕はそうなのかな?と思う。
書店の、おすすめや分類も結構不思議なことになっているからだ。
先般、北斎関連の本を求めて大型書店に行った時、美術書のコーナーでは結局買わずに、一応歴史のコーナーへ行った。やはり芸術系の本は殆どなかったのだけど、久しぶりに歴史関連の棚を見ると、唸ってしまう。いや、あまりいい意味ではなく。
本棚には、いわゆる「仕切り板」がある。本の間に挟んでいる板で、メジャーな作家やテーマで分類される。
で、この書店は明治以降だと、まず「福沢諭吉」がドーン、とある。次はぐっと減って「後藤新平」が数冊。そして「北一輝」が3冊程度。作者名は他にはない。全体として荒涼としている。
かと思うと「戦争責任」という仕切り板もあるのだが、これも3冊くらい。書店の「思い入れ」というよりは「思いつき」にしか見えない。
そういえば、ネットでも同じだった。僕も「何でもamazon」というのもどうかと思って、一時期他のネットショップで買っていた。ところが、こちらには「スタッフのおすすめ」に合わせた作りになっていて、これがまた使いにくかったのだ。
本好きは、みな書店が好きだった。だから書店閉店は寂しくは思う。思うのだけれど、残念ながら、リアル書店の方が、どんどん遠くに行ってしまった。
「笑っていいとも!」が終わるらしい。
「タモリ倶楽部」は毎週見ている数少ないテレビ番組だが、こちらの方はさすがに見なくなっている。1982年のスタートというから、考えてみると自分が大学に入った年だ。ある意味続いていたことが不思議でもある。
ちょうど30年余りが経つわけだが、この番組が終わるのはフジテレビにとっても象徴的な気がする。
フジテレビは、ちょうどこの頃から視聴率を伸ばしてメジャーになっていった。「楽しくなければテレビじゃない」というスローガンでテレビ自体の位置づけを変えていったようにも思う。
「笑っていいとも!」や「ひょうきん族」などのバラエティーと、いわゆる「トレンディードラマ」で、若年層のファンを増やした。簡単にいうと「お笑い」と「色恋」で視聴率を引っ張っていったわけだ。
もっとも、競馬やF1などのスポーツコンテンツも話題になったし、報道にも勢いがあった。日航機の御巣鷹山の事故で、生存者の存在をスクープしたのもフジテレビだったと思う。
90年代に入って日本テレビが視聴率の1位になることが目立つが、その後もフジテレビと日本テレビは僅差で年間視聴率を競っていた。
つまり、「笑っていいとも!」ともの30年余は、フジテレビの隆盛期とも重なるのだ。
それが、近年変化している。テレビ朝日の視聴率が伸びて、日本テレビと競るようになった。フジは3位で、かつ数字的にも離される傾向がある。もっとも売上げなどの数字は、まだ強いようだが。
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