談春はどこへ行くのか。
(2013年9月30日)

カテゴリ:見聞きした

2013年9月28日 14:00 青山劇場
立川談春 独演会2013「デリバリー談春」
『厩火事』
(休憩)
『たちきり』
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久しぶりに談春を聞いた。遠ざかっていた理由は単純で、大きなホールでの会が多かったからだ。今回の青山劇場は1200人ほど。人気があるのだから、ホールが大きくなるのは仕方ない面もあるが、その辺りは聞く方にとっても悩ましい。
しばらく遠ざかっていたが、改めて聞くと、唸ってしまう。
ただし感心して唸るのではなく、「う~む」と首を捻るような唸り方である。いかにもオヤジ臭くて申し訳ないが。
一席目の「厩火事」だが、僕は最後まで話に入れなかった。理由は簡単で「お崎」という女性が、全然見えてこなかったからだと思う。
夫婦げんかが絶えず、相談を持ちかけてくる女房で、突拍子もないが憎めない。愚かな所もあるが、どこか「可愛い」というのが、この役どころだと思っていた。
談春のお先にはこの可愛らしさがどうしても滲んでこない。ややわがままで、下手をすると「うざい」女に聞こえてくる。
途中で彼女がかなりの突っ込みを入れるのは、この噺のお約束だが、今回の流れだと途中からは単に「客を笑わせるための道化」のような役回りになっている。
落語というのは恐ろしいもので「何か、違うな」と思うともう入れない。結局、僕はこの噺でほとんど笑うことはなかった。


もちろん客席では受けていたが、周囲ではかなり笑ってる人もいる一方で、無表情に聞いてる人もそれなりにいる感じだった。
「たちきり」は、さすがだなと思わせるできだった。ラストに近いところの緊張と緩和は、三味線の音色とも相まって、そうそう体験できる時間ではない。
ただし、終わってから談春による解題があった。つまり「たちきり」という噺についての、自らの思いなどを語ったのである。
いわくバラードではなく、ロックである。あるいはさだまさしからの影響など。
こうした演者による解題は時折あるが、今回はやめてほしかった。聞きたくなかったというより、あのまま幕を降ろしてほしかったと思う。理由は単純で「たちきり」だからだ。
あれほどの余韻を残して終わる噺は、そうそうない。
チャイコフスキーの『悲愴』や、マーラーの9番の後で講釈を垂れる指揮者がいるわけないし。
さて、僕は今後談春を聞くのだろうか。いろいろ思いながら、青山通りを歩いた。青学の応援団の声を聞きつつ、来週からは授業だよな~とか思いながら。