ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 演奏会
指揮:ロリン・マゼール
2013年4月18日 サントリーホール
ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲~ヴェヌスベルクの音楽(パリ版)
楽劇「トリスタンとイゾルデより 前奏曲と愛の死
ブルックナー:交響曲第3番二短調(1889年第3稿 ノーヴァク版)
アンコール:ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲
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カルロス・クライバーが、とある公演をドタキャンした。さて、代役はどうする?アバド、ムーティ、メータ?と探し回ってたら、マゼールから「空いてるよ」と電話があったという。
これは真偽はともかく、とある雑誌にあったエピソードだ。90年代初頭のことなんだけど、何となく「わかる」ところはある。才人でありながら、よく悪くも大衆的な人気とは距離のある人だと思う。
キャリア的にもいろいろと曲折のある人なのだが、70歳を過ぎてニューヨークフィルの音楽監督になった頃から、ジワジワと老人力を発揮してきた気がする。NYPの演奏はネット配信でもよく聞いていたが、マゼールの指揮には何度も驚かされた。
印象的だったのは、サン=サーンスの第三交響曲。最後の最後でテンポが倍に伸びたのだ。トランペットがキッチリと吹いていたのにさらに驚いたが、この頃から「何をするかわからない」感じになっていたと思う。
そこで、来日公演でベルリオーズの幻想を聴いた。いま調べると2006年だから、76歳。この演奏は、唐突なことはなく「お腹いっぱい」な感じで終わったのだけど、今回ミュンヘン・フィルとの演奏は、83歳になったマゼールを「体験する」といった感じの一夜だった。
前半のワーグナーは、たっぷりとした前菜という感じで、メインをどう捌くのかが、楽しみになる。ブルックナーは巨大な肉の塊りのようだ。「田舎の炭火焼き」のように、焦げ目のような傷にはこだわらす、岩塩をかけただけのような演奏が好まれるようにも思うが、個人的にはそういうのはあまり好きではない。かと言って、ソース過剰は嫌だ。
で、マゼールはどうだったのか。素材を十分に活かしているが、田舎風ではなく洗練されていて、ところどころに独特の香辛料を使っている。食べ飽きないままに、満腹になる感じだ。
つまりタップリとオケを鳴らすが混濁しないで、リズムは明晰。ところどころに、テンポを揺らしてグイッと引き込んでくる。そしてフィナーレでは、満堂を揺るがすいい意味での過剰さが溢れてる。歌舞伎なら「たっぷり!」と声がかかって大喝采というところか。
ミュンヘン・フィルは、昨秋のバイエルン放送響と比べると管楽器セクションの機能は上だと感じた。ただし聞きすすむにつれて、弦楽器の響きやティンパニなどでは放送響の音色が懐かしくなってくる。いずれにせよ、こんなオーケストラが二つもあって歌劇場もあるミュンヘンの人が羨ましい。
しかし、この日の驚きはアンコールだった。途中から、ドドドドドと地響きを立てるようにテンポが遅くなる。加齢によるスローテンポでもなく、計算されたタメとも違う。山が崩れて土砂崩れが起きる、というか地滑りのように遅くなったテンポから、聞いたことの内容な濃密な響きが襲ってくるのだ。
つまり、そのテンポによって初めて「ワーグナーはこういう音がするのだ」と知る。だが、その時に元の楽譜はどこにあるかというと、地滑りの中に埋もれている。
巨大な均整のとれた山が目の前で崩れていく姿を見れば、衝撃とともに恍惚感をおぼえるのではないか?そんな感じがするワーグナーだった。
そして、最後の最後まで金管は立派だった。ブルックナーのあとのマイスタージンガー。労働基準法に「金管奏者の人権に関する特例」とかあったら、真っ先に規制対象になりそうな演奏会であったが、とにもかくにも忘れがたい体験だった。