「感謝欲過剰」になった日本。
(2012年2月29日)

カテゴリ:キャリアのことも
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コメント(1)

先日、居酒屋チェーンの社員が過労死した裁判の後で「日本のブラック企業の進化」が話題になった。話題になったこちらのブログでは日本社会の同調圧力に注目していたけれど、僕はちょっと別の面からこのことが気になっている。
それは、日本人とりわけ若い人の「感謝欲」が過剰になっているのでは?ということだ。
人間の動機にはいろいろな分類があるんだけど、僕は就転職の相談などを受ける時に、特に2つの「欲」を気にする。それは「賞賛欲」と「感謝欲」だ。
前者はわかりやすいだろう。人から「すごい!」と言われたい欲求だ。これは「目立ちたがり屋」であり、人から喝采を浴びることを望む。
一方で「感謝欲」というのは、人から「ありがとう」と言われたいという欲求だ。つまり人のために尽くす人が多く、まあ一般的は「いい人」である。ただ、キャリア研究ではこれを「感謝欲」と捉える。意地悪なようだが、結局人に尽くすというのも自己の欲求を満たしている、と考えるのである。
さて、この「感謝欲」が強い人は、使う方から見れば便利だ。起業したオーナー社長などは「賞賛欲」に「影響欲」が加わったタイプが殆どだと思うが、これがとりわけサービス産業だとどうなるか。
そう「感謝欲」の強い社員は重宝なのである。
そして感謝欲の強い人は、「ありがとう」といわれると、モチベーションが上がる。そして、さらに頑張る。接客業もそうだが、福祉や介護、あるいは保育などの現場でもよく見られる。「お客からの笑顔で疲れが吹っ飛ぶ」という人もいる。
しかし、それが危険なのだ。

仮に疲れが吹っ飛んだとしても、心身の奥底に疲労は蓄積される。そして、ある日にそれが噴出する。肉体的に破たんすることもあれば、精神的な燃え尽きも可能性がある。
日本の産業構造が第3次産業とりわけサービス業にシフトしたプロセスで、「人に尽くす人材」が求められるようになった。広告やコンサルティングなどでも、そうした側面は強い。そして賞賛欲の強い少数派が上に立ち、感謝欲で行動する多数派がひたすら働くという構造になっているようだ。
それでも、それぞれが満たされれば、それでもいい。ところが上に立つ人間が感謝欲につけ込んでいるのがいわゆる「ブラック企業」で、それがジワジワ増えているのだろう。
この「感謝欲過剰」な状態は、日本人の特性なのか、それとも「ホスピタリティ」とか持ち上げられてその気になったのか、時代の変化か実はよくわからないところもある。
ただし学生のエントリーシートなどに書かれているアルバイト、とりわけ接客系の仕事における頑張りはたしかにハンパではないものも多い。
ブラック企業の存在はたしかに問題だ。その一方で、「自分は感謝欲が強い」と思った人は、自制しないと、どんどん自分を失う可能性がある。そして、それは自覚によってかなり防げると思うのだ。
疲れは決して、他人の笑顔だけでは吹っ飛ばないのである。



「感謝欲過剰」になった日本。」への1件のフィードバック

  1. ラインフォード より:

    感謝欲過剰についての記事、読ませていただきました。
    お客様に喜ばれることが、自分の喜び…という考えって
    気をつけないと落とし穴がありますね。

    なぜなら、お客様に「ありがとう」を言ってもらうぶんだけ
    自身の精神・体力は疲弊しているんですから。

    ネットのニュースでもよく見かけるのですが、
    「恋人に尽くすのは当たり前!」「気配りのできる女になるには」
    といった文面をよく目にします。
    この手の記事を目にするといつも首をかしげてしまいます。
    というのは…

    ぶっちゃけ人に尽くすのは
    ボランティア精神くらいの気持ちでいいんじゃないかと思うのです。
    もしかしたら、感謝欲過剰というものは
    「人から必要とされたい。」という欲求から生まれるものなのかも
    しれません。
    特に今の若い世代の人はこの「必要とされたい」欲求を渇望しているようにも思われます。