フリーの花道⑤会社という場の意味
(2012年2月24日)

カテゴリ:キャリアのことも

昨年、父の余命が半年とわかってから、いろいろと大変なことはあったが、一番予想外だったのは、人に話す機会が想像以上に少なかったことである。
そして、それは自分の働き方とも関係していたのだった。
大体、夜に人と食事するのは週2回程度にしている。健康管理上の問題もあるが、そのくらいが、自分にとっては「ちょうどいい」のだ。会う相手はさまざまだが、大体二週間くらい前にはアポを取ると思う。
つまり、あらかじめ「何時会いましょう」と決めるわけだ。
ところが、このアポイントを決める気が失せてしまった。会いたい人はいるのだが、会えばそういう話をしたくなるだろう。ところが、わざわざ約束をとって重い話をするのは気が引ける。
結局、同年代以上の友人で、既に同様の経験をした人と話すことが多かった。
そして、会社員時代のことを思い出すと、みな昼飯の時なんかに何気なくそんな話をしていた気がする。
「いや、実はオヤジがですね…」
と、病気に関する打ち明け話を誰かがする。そうすると、先輩が声をかける。
「そっか…うちの時はな」と話を聞かせてくれて、「まあいざという時は、まかせておけ」とか「おふくろさんの近くにいてやれよ」という会話になっていく。
そんな風景を若い頃に見ていて、「いつかこういう日が来るのかな」と思っていた。そして、実際にその日が来た時に、僕は会社にいなかった。


一人で仕事を続けてきたのだから、まあ「一人でいる」ことについての耐性はある方だと思う。しかし、この半年間は結構心理的に厳しかったなと思う。いま、手帳を見ても妻や妹と食事に行っている以外は、夜に予定が入っていない。
別にアポイントがなくても、仕事の後に何となく流れてメシに行ったりする。そういう偶然のタイミングで、ちょっとした身の上話につながることもあるのだ。
会社に「拘束されている」と感じるのか、「場を共有している」と考えるのか。それによって、職場の価値は異なってくる。
もし、あなたが会社員だったら、こう考えてほしい。
仮に、自分の身の上に不幸なことがあった時、さりげなく話をできる人が周りに一人でもいるだろうか。もし、いるとするならば、その会社で働くことには十分な意味があると思うのだ。
フリーランスにまつわる話を書いてきたが、それは多くの会社員の人に知ってほしいことでもあった。いろんな働き方を知れば、今の働く場への疑問も浮かび、また感謝も起きるだろう。
どんな仕事にも「花道」はあると思うのだ。