フリーの花道①自由業は自決業。
(2012年2月20日)

カテゴリ:キャリアのことも

ブログを書いていると、意外なエントリーの反響が多かったりする。最近だと「フリーランスの勘違い」とか「世界を変えたい若者って」みたいな、「働き方」についてのものが多い。
で、僕は2004年の9月に独立して以来、法人組織にしていない。そして7年くらいが過ぎた。そこで感じたことを書いてみようかと思うのである。
一応短期連載予定で、今日が第1回目である。タイトルは「フリーの花道」。「フリーの心得」とか考えたけど説教臭いので、特に意味なしタイトル。
で、そもそもフリーっていうのは「旬な働き方」なのだろうか。
会社に捉われない生き方、というのはよく耳にもするが、そもそも日本では自営業者は減少を続けている。1990年に878万人だったのが、2010年には579万人だ。一方で雇用者は4835万人から5463万人に増加した。非正規雇用が増加したこともたしかだが、常雇も増えている。
着実に会社員は増えているのだ。
僕は2004年の9月に独立して以来、法人組織にしていない。そして7年くらいが過ぎた。そこで感じたことを書いてみようかと思うのである。
で、今日のテーマは「自由と自決」である。
「自決」と言っても、いきなり切腹したりする話ではもちろんない。「自分で決める」という意味で、そういえば世界史に唐突に出てくる「民族自決」の「自決」だ。
フリーランスの適性があるかどうかは、この「自決力」があるかどうかだと思う。自由業は自決業と言ってもいい。もちろん、「自決力があること=優れた人」ではない。これはあくまでも適性の話である。これを勘違いしている人が多いことは、以前にも書いた。
この「自決力」について考えたのには、ハッキリとした記憶がある。


会社を辞めて、しばらくして自宅で仕事をしている時に「これからの自分」について考えたら、恐ろしく目の前に時間が広がっていることに気づいたのだ。当時40歳だったが、目の前に、無限の時間があることに気づいた。それまでは無意識のうちに「60歳」から逆算していたのだ。
それで嬉しくなったのだけど、一瞬後にゾッとした。その時間を自分で考えて埋めていかなくてはならない。埋めなくてもいいのだろうけれど、そうしないと生きていけない。
最近は、目の前の時間が残り少ない感じが強くなって、少し感覚が変わったが、毎日を自決しなくてはいけないことに変わりはない。
僕の場合、プレゼンテーションに追われるような仕事ではない。ミーティングも少ない。だから週のうち3日は予定が真っ白だったりする。それをどうするか。資料を作ったり原稿を書いたりという「売り物」づくりはもちろんある。また、本を読んだりして勉強しなくてはいけない。
一方で、平日に週一回はオフの日を作るようにしている。自転車で走って、好きな本を読む。一人でクルマに乗って、知らない道を走る。猫と遊ぶ。人と会う。
それでも、まだまだ手帳の中のホワイトスペースは目の前にある。さて、それを面白いと思えるか、ちょっと怖いと思うのか。
その両方の気分を味わいたいと思うのだったら、フリーランスという仕事に適性があるのかもしれない。