2012年01月アーカイブ

海外ミステリーの名作と言われるもののほとんどは、英国と米国を中心とした英語圏の作家たちで占められてきた。フランスやドイツの作品にも面白いものはあるが、やはり英米が中心だ。そして、いわば典型的幾つかのスタイルを生んでいる。
ホームズに端を発する名探偵、またはハードボイルド、あるいは警察小説、そしてスパイものやアクション、さらには心理サスペンスなどなど。そういった中で、知らず知らずのうちに英米の文化とミステリーは密接に結びついている。
ハードボイルドの主人公がキッチンでベーコンを焼くのはいいが、キッシュを作ったりはしない。007のようにカクテルを飲むのはいいが、スパイが老酒では困る。冷めたピザだから張り込みの小道具になるのであって、ワインを飲みながら石窯の焼き上がりを待つのではない。
だから、英米圏以外のミステリーはそれだけで、ちょっと気にかかる。しかし、ドイツやフランスで大評判になった作品も実際に読むと「?」ということが多い。やはり英米は層が厚いのだ。
大きな流れの変化は、あの「ミレニアム」(スティーグ・ラーソン)だろう。スウェーデンを舞台にした全6巻の大作は、内容も素晴らしいがそれ以上に北欧の作品世界が印象的だった。風俗から政治に至るまで全く不案内な世界だけに、それ自体を味わい、異国を旅しているような楽しさがある。
そういうわけで、デンマークの作品というのはそれだけで気になっていた。この「特捜部Q」はシリーズもののようで、まずは「檻の中の女」を読了した。既に、第2作も訳されており、評判も上々のようだ。第1作も、なかなかに楽しめる仕上りだと思う。犯行を巡る構造についての意外感は薄いけれども、エンタテインメント小説としての出来は十分だ。
今後の期待も含めて、おすすめできる小説だと思う。
ちなみに僕が気になったのはデンマークの年金だ。やたらと「まだまだ年金暮らしには」などの話が出てくるのだが、どうやらデンマークの年金生活は、魅力的なのだろうか?調べてみると、北欧流の高福祉・高負担のようだが、それも曲がり角を迎えているらしい。
そういうことがついつい気になるのも、普段読まない国の小説をよむ楽しみだと思う。



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正月休みが明ける頃になると、ちょっとした孤独感に見舞われる。
フリーになると、12月20日頃に店じまいとなり、正月のスタートも遅い。別にさぼっているわけではない。しょっちゅうクライアントに通うようなビジネスではないので、年末年始は先方もいろいろな年中行事に追われるのである。
二週間ほど社会と離れて、昨日あたりからさすがに稼働しなくてはいけないのだけれど、ここにちょっと時間がかかる。昔のクルマの「暖気運転」という感じだろうか。なじみの店に行って、好きなものを食べて、そのあたりからようやくその気になる。
会社にいた頃は否応なく、仕事が動き出す。一方で、「自分で自分を立ち上げる」というのは、それなりに初期エネルギーがいるのだ。
しかし、仕事のメールが来たりして「やらねばなるまい」という気になってくると、アタマの回転数も自然に上がってくる。
そして最近になって思うのは、「仕事を通じてまわりの人々に”生かされている”んだな」という感覚なのだ。
たしかに、僕は自分一人で仕事をしている。しかし、それは仕事を頼んでくれる人がいるからであって、その人たちに”生かされている”ということが厳然たる大前提であり、仕事とはそうした結びつきなくしては成り立たない。
世捨て人のように、山奥に一人住み働く陶芸家のような人もいるが、誰かがその人の茶碗でも買わなければ、飢えるだけだろう。人が働く上で人との関係は必須だし、だからこそその関係で多くの人が悩むのだ。
なんでそんなことを考えたかというと、高広伯彦さんの『「嫌われ者」は周囲が作り出すのではない。』というエントリーを読んだからだ。僕は、引用元のブログも読んだのだけれど、実は何度読んでも意味がわからなかった。

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