僕が入社した頃、コンピュータ端末は部屋にあったが、自分のデスクでは鉛筆と原稿だった。それが広告の制作室の風景だった。
入社3年くらいした時に、仕事の関係でラップトップのワープロが入手できたので、それを使うことにした。得意先も喜ぶし、まあ便利だから使い始めたのだけれど、それはかなりの少数派だった。
もう、家庭用ワープロも普及し始めていたので、広告制作の世界のほうがその辺りは頑迷だったのだ。
実際、70名ほどの部門で、僕以外にデスクでワープロを使っている人はもう一人の先輩だけだった。彼はコピーライターだったが、以前から東芝の「ルポ」を愛用しており「僕はルポライターだから」などと言っていたことを覚えている。
その後、僕は転勤してその先輩とは職場が離れた。その後、彼は休職して大学院に行き、僕が研究開発に異動してから一緒にプロジェクトもやった。
そして、やがてその先輩は学究の道に入った。その、何年か後に僕も会社を辞めることになる。
今回の新刊を出す上で、戦後の世代論をひも解く必要があったのだが、そこでお世話になったのが『族の系譜学』という本である。著者は、難波功士さん。四半世紀前の広告会社の制作室で、ワープロを使っていたもう一人の方だ。現在は関西学院の教授である。
その頃、自分たちはたしかに少数派だった。そして、時間が経つと、その少数派は会社を離れて、それでいてまた道が交叉している。やはり、少数派はそれなりの道をそれぞれで歩むのだろか。
いま職場で「少数派」の人は、いろいろと不安を感じるかもしれない。ただ、そのこと自体に焦ることはないのだ。無理やり多数派になることはない。
もちろん、無理やりに少数派になるべきだとも思わない。ただ、多数であることだけに「安心」していても、それは全く「安全」とイコールではない。そして、僕はどうしても「少数派」にシンパシーを感じるのである。
■新刊「世代論のワナ」を出しました。こちらのブログをご覧ください。
2012年01月アーカイブ