正月休みが明ける頃になると、ちょっとした孤独感に見舞われる。
フリーになると、12月20日頃に店じまいとなり、正月のスタートも遅い。別にさぼっているわけではない。しょっちゅうクライアントに通うようなビジネスではないので、年末年始は先方もいろいろな年中行事に追われるのである。
二週間ほど社会と離れて、昨日あたりからさすがに稼働しなくてはいけないのだけれど、ここにちょっと時間がかかる。昔のクルマの「暖気運転」という感じだろうか。なじみの店に行って、好きなものを食べて、そのあたりからようやくその気になる。
会社にいた頃は否応なく、仕事が動き出す。一方で、「自分で自分を立ち上げる」というのは、それなりに初期エネルギーがいるのだ。
しかし、仕事のメールが来たりして「やらねばなるまい」という気になってくると、アタマの回転数も自然に上がってくる。
そして最近になって思うのは、「仕事を通じてまわりの人々に”生かされている”んだな」という感覚なのだ。
たしかに、僕は自分一人で仕事をしている。しかし、それは仕事を頼んでくれる人がいるからであって、その人たちに”生かされている”ということが厳然たる大前提であり、仕事とはそうした結びつきなくしては成り立たない。
世捨て人のように、山奥に一人住み働く陶芸家のような人もいるが、誰かがその人の茶碗でも買わなければ、飢えるだけだろう。人が働く上で人との関係は必須だし、だからこそその関係で多くの人が悩むのだ。
なんでそんなことを考えたかというと、高広伯彦さんの『「嫌われ者」は周囲が作り出すのではない。』というエントリーを読んだからだ。僕は、引用元のブログも読んだのだけれど、実は何度読んでも意味がわからなかった。
2012年01月アーカイブ