宝塚の「トラファルガー」を見た勢いで、同時代の歴史書が読みたくなった。最近、本を買うのはほとんどがamazonなのだけれど、久しぶりに書店の本棚、特に歴史ものでも見てみようかと紀伊國屋書店の新宿南店へ行った。
だだっ広い割に専門書の並びについてはかなり悪いイメージがあるので、あまり行かない本屋である。ただし、あまりに暑いので地下にパーキングのある書店を選んだというだけの話なんだけれど。
結局、一冊も買わなかった。歴史のコーナーに行ったのだけれど、「フランス革命」「ナポレオン」はともかく、同時代の欧州を俯瞰するような書物は見つからない。もっとありそうなのに……と思ってふと気づいた。
新書、選書、あるいは文庫はここにはないのだ。別のフロアに行かなくてはならない。しかし、行ったところでそうした版型の本は出版社別である。探すのは、かなり苦労する。出版点数が増加したことで、リアル書店の構造的な問題がますますクッキリとしてしまった。
結局、一人でカレーを食べて家に帰った。
そして、結局携帯で検索しているうちに、面白そうな本が見つかってきた。
しかし、リアル書店は厳しいんだろうな、と改めて思う。書棚を見ると、いろいろと分類されている。本と本の間に「タグ」のように項目名が挟まっているけれど、これが何とも、キビしい。
近代史のあたりだと「フランス史」「アフリカ史」「ベネルクス史」のように基本はエリア別なのだけれど、例外的に「テーマ」でタグがある。この書店の場合は「ナチス」「ホロコースト」そして「従軍慰安婦」だ。ちょっとずれたとところには「三国志」があった。
つまり、この書店の歴史観はそういうことなんだろう。
近所を散歩していたら、ある家の軒先から夫婦の会話が聞こえた。
「誰が、そんなこと言った?」
「だって、テレビで言っていたもの」
突っかかった夫はそこで沈黙したらしい。前後のことはわからないのだけれど、こういことはよくある。特に一定以上の歳の人は、メディアの情報を鵜呑みにする。
実際にはメディアの情報はすべてが本当とは思えない。別に意図的な嘘でなくても、「嘘」としか言いようのない情報は巷にあふれていて、それはマスメディアでもインターネットでも同様だろう。
で、どんな時にどんな「嘘」が生じるのだろうか。
===================================================================================================
1.過剰期待で生じる嘘
「料理番組のレシピが今ひとつおいしくない」とか「芸能人の喜んでいた宿がたいしたことない」「褒められている映画がクソだった」というようなもので、これはメディアのコンテンツや登場人物に対する過剰期待から生じるパターン。まあ、よほどのバカでなければ段々と学習して、信頼できる情報ソースを探すはずだ。
2.予測で生じる嘘
これはスポーツの順位予想から、経済政策論議までいろんなところで出てくる。つまり「予測」というのは複数あれば誰かのものが外れるのだから、ある意味宿命的なもの。ただ、「岡ちゃんごめん(#okachan_sorry)」が生まれるネットに比べて、マスメディアにはかなりのトホホ感が残る。
3.ミクロな嘘
東京宝塚劇場公演 宙組
グラン・ステージ「トラファルガー」
グランド・ショー「ファンキー・サンシャイン」
===============================================
想像以上に暑い。梅雨が例年になく「ガッチリ」していて梅雨前線もしっかりしていたが、こうした年の夏は暑くなる(ことが多い気がしている)。天気図を見ても週末までは太平洋高気圧がドッシリ構えていて、かなりの暑さが続きそうだ。
日本では天候のメリハリが消費に直結するので、飲料やエアコンなどの業界には久々の追い風だろう。もっとも、一昨年のように8月に入ってから天候不順になったケースもあるのでなんともいえない面はあるけれど。
昨日は自分にとっては実質的には休日扱い。週末でも働くときは働くので、こうした昼公演の芝居や落語を見る日は、前々から終日空けておく。普通だったら昼前から銀座に行ってゆっくりするのだけれど、この暑さで昼飯まで家にいて、地下鉄に乗って逃げるように劇場に入った。
「トラファルガー」はネルソン提督の勇猛でダイナミックなストーリー、ではなく基本は「不倫話」である。ネルソンの功績は知ってはいたけれど、不倫が史実だったとは知らなかった。タイトルが有名な海戦だし、宝塚では青池保子の「エル・アルコン」を舞台化していたので、そのあたりのギャップはあったかもしれない。
つまり、想像以上に陸地のお話で、ややイメージが違ったかな。とはいえ、構成自体はしっかりしていて、それなりに楽しめる。この舞台ではネルソンは女性に対して堅物で、不倫相手の夫人はクレバーに描かれているけれども、あとで調べてみるとそういうわけでもなさそうではあるけれど。
この舞台ではトップの大空祐飛がネルソンを、二番手の蘭寿とむがナポレオンを演じる。(しかし宝塚の名前は変換が大変)改めて思ったのだが、世界レベルでの後世への知名度はナポレオンが圧倒的だけれど、この戦いで勝ったのはネルソン。
考えてみるとナポレオンは英雄ではあるものの、フランス以外では相当の嫌われ者だったのだろう。ハイドンの「ネルソン・ミサ」は、ネルソンの勝利(ナイル海戦)にちなむし、ベートーヴェンは「英雄」をナポレオンに献呈しようとしたが、皇帝就任の報に怒ってやめてしまう。チャイコフスキーの「1812年」はナポレオン軍の敗走とロシアの勝利を描いているが、国歌をあそこまでケチョンケチョンにした曲は珍しい。
ナポレオンを称えたアーチストは、「戴冠」「アルプス越え」を描いたダヴィッドは思いつくのだけれど、彼はお抱え画家。いったいナポレオンとは何だったのだろうか。
ちなみに自分が子どもの時に好きだった伝記は「エジソン」と「ナポレオン」だった。夏休みにナポレオンのことを描いた本でも読んでみようか、とそんな風に興味が移るのも芝居の楽しみではある。
ゴースト トリック
(カプコン・ニンデンドーDSソフト) 公式サイト
=======================================
「逆転裁判」の巧舟氏が手がけた新作ということで、発売即購入。先月末には終えていたんだけれど、思い出しつつレビュー。
まず、久しぶりに「終わりたくない」と感じたゲームソフト。巧舟さんのゲームはまずキャラクターの造形が、いい意味で「歪んで」いる。その歪みに最初は違和感を感じるのだけれど、それが実にゲーム的なのだ。
あらかじめゲームで「プレイされる」ことを前提にしているんだろう。映画のキャラクターであれば、破綻しているはずなんだけれど、ゲームだと全体に漂う「異形」な感覚が、どんどん生きてくる。最初のうちは、プレイヤーの感情移入をあえて阻んでいるのだろう。それが、時間を追うごとにズブズブとゲーム世界に引きずり込まれる。
この感覚は「逆転裁判」に相通じるものがある。いわゆる「本格」のミステリーの登場人物の造形を思い起こさせるけれど、これは巧舟氏が、もともとそちらの世界に通じているからなんだろう。
主人公が「死者」という設定は妙に暗い感じもするかもしれないが、それは杞憂。死者であることでゲーム全体の”謎”に立体感が生まれている仕掛けになっている。またパズルについての難易度は適度ではないだろうか。
数あるキャラクターの中で、僕が気に入ったのはポメラニアンのミサイル君。(同じような人は多そうだ)犬のキャラクターをかわいいと思ったのは久しぶりである。
それにしても、一番の後悔は夏休みのゲームを終えてしまったことだ。本でも読むか。というか仕事しろって。今年はあと2冊単行本が控えているし。
『あの頃の噺』~市馬・昇太・談春 前座噺の会~
7月14日 スペースゼロ(東京・新宿)
==============================================
この3人の都内の独演会は、それぞれチケットを取るのがかなり難儀な人気者なので、一堂に会したこういう会は、さらに難儀になってしまう。今回は妻の知り合いが行けなくなって、直前に譲ってもらえた。
談春の「真田小僧」市馬の「たらちね」に昇太の「雑俳」と続いて3人のトーク。休憩を挟んで昇太の「狸札」に続いて談春が「狸鯉」、そして市馬の「牛ほめ」。
前座噺を、旬の落語家が競演するという企画はなかなかに贅沢なものである。
喩えていえば、いやマッタク違うかもしれないけれど、一流のアーチストがいわゆる「ビギナー向けの名曲」を演奏したディスクにも似ているかもしれない。
カラヤン=ベルリンフィルの「フィンランディア」とか、ホロヴィッツの「トルコ行進曲」って、過剰な贅沢感があって好きなんだけど、結構近い気もした。
ところが、トークでなるほどと思ったんだけれど、前座噺は決して「よくできた噺」とも限らない。つまり、フツーにやると十分つまらなくなる。これは、落語のすごいところなのかもしれない。
西洋音楽のビギナー向けの曲は「ビギナーがやってもさまになる」ようにできているんだけれど、落語はそうとは限らない。
そうか。前座の噺家がつまらなく感じるのは、そうした試練があるからなのかと改めておもった。今回聞いた噺も、「談春だから」「昇太だから」という「プラスのハンディ」を感じる面もある。そういう意味でいくと、市馬の落語はそのままに面白かった。
そういことが何となくわかるのも、また前座噺のおそろしいところでもある。