そういえば、先週は同年代の広告関係者と会うことが他にもあった。
彼は、ほぼ同年代で、会社は違うのだけれど、社外活動でいろいろと一緒だった。お互い「自社代表」みたいな感じで、シンポジウムとかでパネラーを務めたりしていた。広告業界でも、リサーチャーどうしは仲がいい。営業どうしは、そうも行かないこともあるのだろうけど。
いろいろ話していて、「ワークショップ」の話になった。僕は、安易にワークショップを提案しない方がいい、という考え方なのだ。それは、彼とも一致した。
「特に若手をワークショップのファシリテーターにするのはよくないよ」と僕。
「だよね~まず企画ができてから、ワークショップ運営するならいいけど」
「あれで、仕事した気になるんだよな」
「そうそう」
「ワークショップなんて”鍋料理”なんだよ。まず、ちゃんと料理の修業してから”鍋もあります”ならいいけど。初めから”鍋専門店”じゃ腕は上がらないでしょ」
「でもね~山本さん。その”鍋料理”が食べたい、っていうお得意先も多いのよ」
「へ~。何かできた気になるからでしょ」
「あと、社内調整。つまり、こういうご時勢だからみんな責任取りたがらないでしょ。特に広告とか”説明責任”が大変じゃない」
「たしかに、そうだよね~。どの会社でも広告予算の責任者って大逆風でしょ」
「でしょ~。だから、代理店としては彼らを助けるのが最大のミッションだから」
「だったら、みんなで”鍋料理”か~」
「もう、味付けなんてあったものでなし」
「そっか~、”みんなで作って食べました”が大切なんだ」
というわけで、じゃあホントに広告代理店の付加価値って何よ?と言うことになるわけで。
まあ、僕もワークショップをすることもあるけれど、その場合はかなりの「下ごしらえ」をする。味付けの方向もかなり固めておく。
ワークショップがよくない、というのではなく「お互いをマッサージしましょう」みたいな妙なミーティングが多いのが気にかかる。
そういう話であった。
先週、小霜和也君と飲んだ。 彼は、いまno problem という広告プランニング会社の代表であり、コピーライターで、クリエイティブ・ディレクターだ。まあ、広告業界の人であれば、ご存知の方も多いはずだと思う。 彼と僕は、博報堂の同期だった。86年に入社して2人ともクリエイティブに配属された。その後、僕は幾つかの職種を経て2004年に辞めているのだが、小霜君は98年に辞めている。しかし、彼はずっとクリエイティブ畑の仕事をしていた。ただ、コピーだけ書いているわけではないのだけれど、本籍も現住所もあまり変わっていない、という感じである。 2人で飲むのは、これが初めてだった。 有体に言うと、まあ別にそれほど近しいわけではなく、まあ、何となくそうだったというわけだ。 きっかけは、昨年出版した”買う気の法則”の感想を、彼がホームページ経由で届けてくれたからだ。それから、また何ヶ月も経ってやっと会うことができた。 まったく異なるような道を歩んできながら、いまのマーケティングや広告の現状に対しても問題意識は驚くほど似ていた。それはそれで、単純にうれしかった。 彼は広告学校も主催しているが、そうして育成に関心を持っていることもまた、不思議だった。 そして、今月には単行本を出版するという。 僕たちの世代は、いわゆるマス広告が華やかだった時代を知っている。 ただ、知っているということが「知っている」にとどまっていて、それが現状の突破に結びついていない。そんな意識がある。 それに、過去の体験でも捨てなきゃいけないものはたくさんある。 一方で、メディアをめぐるテクノロジーの変化は早い。その変化をフォローすることは大切だけど、変わらないこともあるだろう。 変わること、変わらないこと。それを見きわめるための議論が重要なのに、極端な意見がどうしても目につく。 実は、小霜君と僕が話して頷きあっている内容をまとめて書いたら、とってもアタリマエのことしか残らないだろう。 しかし、そのアタリマエが忘れられたまま右往左往しているのが、いまの広告ビジネスの姿なんじゃないか。 そういえば思った。「あの人はアタリマエのことしか言わない」って人って、そのアタリマエができてない。その癖、どうでもいいような「名言」が好きだったりする。 気づいた方が、いいと思うな。
昨日のエントリーとも関係するのだけれど。
会社を辞めた直後だから、いまから5年ほど前のことである。
リクルート出身で、とある企業のトップを務めている人がこんなことを言っていた。
「電通や博報堂の”営業”は”営業”とは言えないよ」
なぜか、という理由はすぐ後に語られる。
「だって、新人とか配属で『どのクライアントになるか』って、すごい気にしてるじゃない。つまり、その時点で受け身でしょ」
なるほど。
「営業の役割って、新しいクライアントを開拓して、既存のクライアントから新しいビジネスを生み出すことじゃない。無から有を生み出すんだから、そもそも担当なんか”無し”だっていいんだよ」
だから、大手広告会社の営業は彼から見れば”営業”ではないということになる。
これは、少し乱暴に聞こえるかもしれないけれど自分としては納得した面もある。というのも、広告会社の「営業の価値と役割」については結構アタマを悩ましたまま、結論を出せなかったからだ。
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連休中にホームページ経由で、知らない大学生からメールが届いた。
来春から、大手広告代理店に勤めることに決まったらしい。複数社から内定をもらったそうだ。
メールの内容は、広告費についてのリポートの感想、および質問。質問の内容は、配属希望についてだった。少々気が早いかもしれないが、まあ気にするのはわかる。ただ、こんんな表現だった。
「一番刺激を受けられるクライアントはどこでしょうか?」
さて、既に社会人として働かれている方だったらどのように答えますか?あなたが学生だったら、どんな答えを予想しますか?
僕の回答はカンタン。「”刺激を受けられるクライアント”という発想自体を捨てること。どのクライアントに対しても”刺激を与える”のが君たちの仕事」。
その発想で、一年後まで世の中を見ていくように。それが僕の答えだった。
そこで、ふと思ったのだけれど、ここ何年か就活学生と話をすると「自分が成長できる環境」という言葉を聞くことが多かった。