去る9月30日に、父が他界した。今年は、年初から父の健康状態がいろいろと思わしくなく、僕は初めての経験に直面していた。死去の前後も含めて、仕事への影響を最低限に抑えられたのは、今にして思うとわずかな救いだった。
一ヵ月が過ぎて、この間も単行本の入稿やクライアント・ワーク、大学の講義などは普通に流れていた。合間を縫って、色々な手続きをおこなって、一段落したところだ。
父は、典型的な「戦後日本の男」だった。会社員だったが、家のことは母に任せきり。夜は遅く、週末は寝坊するので、子どもの頃「父と二人」という記憶がほとんどない。後になって思うと、それほどのワーカーホリックでもなかったのだろうが、高度成長期は普通に働いても会社漬けになってしまうものなのだ。また、同居していた祖父があちこちに連れて行ってくれて、典型的な「お祖父ちゃん子」だったことも影響しているだろう。
僕が小学校に入る前後だったかと思うが、新聞のチラシに「塗り絵」があった。当時日立の「キドカラー」というカラーテレビのキャラクターで、オウムの「ポンパ」君というのがいたのだが、その塗り絵である。
僕はその塗り絵をこしらえた。そして、電器屋まで行くと何かもらえるようなのだが、その店が当時の年齢ではかなり遠かった。今にして思うと歩いて20分弱程度の所なのだが、子どもにはかなり未知の世界だったのだ。
そして、どういう経緯かは忘れてしまったが父が一緒についてきてくれた。店で何をもらったのか、覚えていない。ただし、父と二人だけで歩いたことはよく覚えている。
そして、その後はそういう記憶もないが、それを不満に思うこともなかった。
ただ、二人で歩いたことは嬉しかったのだろう。未だに「ポンパ君」のことはよく覚えている。
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他界して、一週間が経った頃だろうか。よく行く店のマスターにこんなことを聞かれた。
「あのさぁ、猫の時とどっちが悲しかった?」
彼は、数年前に母上を送り、同じ頃に愛猫を失った。私も、十年ほど前に猫を亡くしたことがある。いささか、唐突かもしれないが彼が問うた意味は何となくわかった。
「……猫の方ですね。悲しさでいえば」
「ああ、やっぱり……」
それだけの会話だった。そう、単に悲しみでいえば猫という小さい生命体が動かなくなってしまった時の慟哭の方が激しいかもしれない。
親を送るというのは、子の務めでもあり、また悲しみに浸りきれない緊張もあった。しかし、一人でクルマを運転している時に、ふと涙が溢れてきたり、忽然とむなしい気持ちになったりする。
それは初めての感覚だったが、あえて言えば「喪失感」とでもいうのか。悲しみ、というだけで表現しきれない心理があることもまた初めて知った。
そして、ようやくこんなことを書く気分になってきた。
先日、来年のカレンダーを買った。時間は、現世とともに、淡々と巡っていく。