ノーベル賞を受賞した中村修二氏が日亜化学との「和解」を求めて、これを日亜化学がやんわりと断った。最近はやや死語になってきている「慇懃無礼」という言葉を説明するのに、あれほどの好例もないだろう。
彼の心境の変化などは、僕等には想像もできない。ただ、それまでは「怒り」を前面に出している人だった。10年以上前の著書にも「怒り」という言葉があるくらいだから、彼の場合はそれが原動力だったのだろう。
ただ、一般的にいって「怒り」という感情は、その人のキャリアにとってプラスになるのか?というと結構難しい。
一定の成果を上げるのだが、どこか過剰になっていく。とあるキャリア論の先生が「ダークサイドに落ちる」と言っていたが、言い得て妙だと痛感した。
最近だと、ゼンショーの小川賢太郎社長がその典型だろうか。元々吉野家出身だが、経営危機の後に袂を分かつように、退社してゼンショーを設立したという。先般、吉野家の安部修二会長と何かのパーティで握手して話をしたということが、新聞ネタになったくらいだから相当根深い感情のしこりがったあったのだろう。
すき家をはじめとするゼンショーの成長はたしかにすごかったけれど、「ブラック」といわれる就労状況を認めざるを得なくなった。まさにダークサイドだ。
この手のパターンは、流通産業によく見られる。最初は「消費者のため」と言っていても、どこかから単なる制覇欲だけが前面に出てきて、過剰投資につながり破綻する。先般とある編集者が「多くの流通業は“初代”で終わっている」と言っていたのを聞いて改めてなるほどなあと思う。
そんな中で、南場智子氏のインタビュー記事を見た。「大事なのは健全な怒りと欲求駆動」という見出しだけど、納得できる。「さまざまな社会的な難問に対して『なぜこんなことになっているのか』という健全な怒りを持ち、解決のために動くリーダー」はたしかに必要だ。
「健全な」とわざわざつけている。それは私怨ではないよ、ということなんだろう。「公怨」とは言わないので、日本語で近いのは「義憤」かもしれない。
人にもよるが、「怒りがパワーになる」というのは十分にある。中村氏もそうだが、ジャーナリストや作家なども、それが成果につながるケースはある。ただ、多くの人を率いていく経営者の場合だと、そのパワーのしわ寄せが従業員にいって結果ダークサイドに落ちるリスクが高いのだろう。まあ、最近はジャーナリストもダークサイドにはまるようだけど。
では、ここで、改めてヨーダ先生の言葉に耳を傾けたい。
「恐れはダークサイドにつながる。恐れは怒りに、怒りは憎しみに、憎しみは苦痛へつながる。」(Fear is the path to the dark side. Fear leads to anger. Anger leads to hate. Hate leads to suffering.)
合掌。
(追記)気になって「公怨」をネット検索したら中国語ではあるようだった。念のため。