日本画家の菱田春草の展覧会が間もなく東京国立美術館でおこなわれる。
それはいいのだが、ここでもまた既視感のあるPRを見ることになった。
猫だ。
春草の代表作に「黒き猫」他、たくさんの猫作品があるのはいいんだけど、今回の展覧会は猫のシルエットがアイコンになるほど「猫シフト」になっている。ちょうど一年前に行われた竹内栖鳳の展覧会もポスターなどには猫を使っていた。
猫好きは狙われている。可愛い猫の絵があれば、とにかく出かけてしまう。そして展示替えという、困ったこともあり、今回は白猫が去ってから黒猫が来たりするのだ。
今年、山種美術館でおこなわれた「kawaii日本美術」も猫好き狙い撃ちだった。
この10年くらいの日本美術の展覧会は、たしかに人が集まる。2005年に東博で開催された「北斎展」は連日盛況だったし、相前後して若冲も相当話題になった。
そして、日本美術における動物は魅力的だ。独特の愛らしさは、西洋美術にはない視点を感じる。そして、猫はその先兵なのだ。
チケットだけではない。ミュージアムショップがまた曲者だ。いったい、我が家には猫のクリアファイルが何枚あるというのだ。
そして、猫好きの絵を眺め方は他愛無い。黒い猫を見て、「やっぱアリみたいだねえ」と言いつつ、しばらくすると「でもアリの方が可愛いか」とかブツブツ言っている。(アリは当家の猫の御名)
おそらく、絵に詳しい方からすれば「猫だけじゃないぞ」というのは自明だろうし、こういうPRは邪道に思う人もいるだろう。
ただし猫が、日本美術人気に貢献したこともまたたしかだ。上野の芸大あたりには、結構可愛い猫がウロウロしているが、優遇してやってもいいんじゃないだろうか。
そして、昔の日本人が描いた猫を見ていると、ふとタイムスリップをした気になる。「ああ、何百年の前の人も、猫のしぐさを見ている時は同じような気持ちだったんだろうな」と感じる。
そうして、過去の人間と感情を共有できるのも、猫という仲立ちがあるからだろう。猫は時空を超える。だから、猫と戯れている人間が現実を忘れて、呆けているように見えるのも当たり前なのだった。