「ポスト震災」をめぐって、いろいろな動きがある。調査の方も出ているし、消費データの傾向もわかってきた。大体のことを言えば、「マジメにしっかりした消費行動」というのが、多数派のようである。
細かい分析など、仕掛かり中の原稿などもあって、まだ書けないこともあるのだけれど、いろんな意味で「帰属意識への目覚め」が強まったんだな、ということは話を聞いていると実感する。
企業でも被災したことで求心力が高まったし、計画停電で地元への帰属も確認された人も多い。そして「日本」への帰属意識も高まった。
ただ、もっともシンプルなことは震災のあの日、まず皆が「もっとも大切な人」の安否を確認しようとしたわけで、その多くはまた家族であっただろう。消費の家庭回帰は、このあたりから始まってわけだ。
ということで、とあるプロジェクトでくだらないことを言ってしまった。
「あの地震が、夜だったりすると、たとえば”不倫中のカップル”とかが地震にあったかもしれないですよね。その時、いきなり”妻子(夫)の安否”が気になったりすると、覚めちゃったりするんでしょうね」
すると、とある方が「実はですね……」と教えてくれた。
「いや~、この震災を機に不倫を解消するカップルが結構いるみたいなんですよ……」
ああ、そうかなるほど、「正しさ」を尊ぶ今の風潮がこんなところに反映されるのか、と思いつつ、ふと「自己実現」という言葉が思い浮かんだ。
おお、なるほど。不倫はある種の「自己実現(モドキ)」だったのかと思ったのだ。
そもそも、自己実現というのは80年代後半あたりから、大安売りされた言葉なので、本来の意味は全然違うのだけど、日本では「自分らしさ全開で、ああ満足」レベルの意味筋だと思う。
一方で、不倫というのは帰属も承認もされない関係である。それを明らかにしようとすると、当然修羅場が訪れる。つまり、帰属や承認欲求が満たされないまま「この人といれば幸せ」ということで一気に「自己実現的な思い込み」に向かっていく状態なのだろう。
むろん、マズロー先生もこの事態は予測していない。
まあ、不倫は一つの象徴なのだけれど、この震災を境に下手な自己実現モドキはようやく収まっていくかもしれない。
つまり、仕事でも私生活でも「帰属と承認」という当たり前の欲求をなめていた日本人が多かったということで。
「自分の名前で仕事をするのが本筋」みたいな。まあ、一度くらい思うのはいいかもしれんけど。
ただ、そこから抜け出せなくて、就職できなくても、会社で認められなくても「自分は自分」という発想は、ある意味不倫の当事者と相通じるものがあって、そこには「自己実現モドキ」という深い根っこがあると思うのである。
ただ、不倫の経済効果というのも業種やエリアによってはそれなりにあると思うので、何というか、節約も含めて「高潔な豊かさ」って難しいんだよな、と改めて思ったりするんだけど。
ご無沙汰しております。
興味深く読ませていただきましたが、タイトルをみて、
タイミングがタイミングだけに、内田裕也のニュースと
関係があるのかと思ってしまいましたw
震災支援活動をしながら不倫は解消できなかった氏は、
やはり「被災者ではないから」ですかね…ww
あら、お久しぶり。彼は被災してもしなくても、関係ない気がしますけど。