ネットでの検索や訪問履歴を活用した広告も増えてきて、「アア、あの時の履歴をもとにしてるんだなあ」とわかることがメッキリ増えた。特にネット業界の外にいる人や学生と話していると、実感する。
とあるCDショップもよく出てくるようになった。自分の嗜好をよく知ってるなあと思う。ただ、分析が的確すぎるのか、薦められるディスクはだいたい持ってたりする。がんばれ。
ただ、明らかに「狙われてる」と感じることを、「ああ、なるほど」と流せる人もいるが「気持ち悪い」という人もいる。厄介なのは、この気持ち悪さだ。ビッグデータにおける個人情報の問題は、「守られるかどうかだけでは済まない。僕はその辺りには頓着しないほうだし、データの活用が相当なムダを減らせることもアタマでは理解しているつもりだ。ただ、最近ちょっと「気持ち悪い」経験をした。
時折、というか何かの拍子にYouTubeで猫の動画をみることは多い。その時も、猫の動画を見て和んでいたのだが、いきなり画面下方にこんな広告が出たのだ。
「イオンのペット葬」
猫の動画と「ペット葬」の文字の組み合わせは、相当に強い。猫というコンテンツに合わせたのか、自分の履歴から読んだのかはわからない。いずれにせよ、狙われているのだろうけど、ちょっとそういう問題ではない。
別にターゲティングしなくても「ペット葬」は、プッシュ型の広告にふさわしくないよなあ、と。
つまりネットにまつわる「気持ち悪さ」は、データ管理の問題じゃなくて、こうした広告の「臆面のない感じ」が根っこにあるんじゃないかと思う。「あなたのことを知ってますよ」というデータは、さりげなく提示されるから意味がある。なじみの飲食店が好みを知ってアレンジしてくれることはあるけど、もし恩着せがましく言われたら興ざめだ。
そう考えると、懸命にターゲティングして何度もプッシュしてくる広告は、気持ちを醒ましてしまうし、動物画像に重なる「イオンのペット葬」はある種のテロだよなあ。
そして、メディアはデータにまつわる不祥事を淡々と狙っている。空港や駅などの資料が流出可能状態にあったのはたしかにグーグルのミスだ。でも「陳謝をメールとは…グーグルに鉄道会社あきれ顔」という見出しのこの記事は、データを扱う企業が「社会的に非常識である」という印象を強めたい、という意図を感じる。
大した理由もなくビッグデータへの逆風を起こしたい、という思惑を持っている人は相当いる気がする。信条としてのプライバシー擁護だけではなく、先進企業へのやっかみを持っているだけの人の嫌がらせのようなものもある。
ただ、「あなたのこと狙ってますよ」という思惑があらわな出稿が続いて、「ペットの動画にペット葬」みたいなのが出てくると感覚的な拒絶が広がるような気がして、それもちょっと気になるのである。