東京交響楽団の挑戦と、オーケストラのこれから。
(2020年7月28日)

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久しぶりにオーケストラの演奏を聴いた。7月25日の土曜日、14時。東京交響楽団の演奏会は、指揮者のいない『ハ調の交響曲」で始まった。ストラヴィンスキーのこの曲をライブで聴くのは初めてかもしれない。

それにしても、同じ空間で人が演奏しているというのは、なんと素晴らしいことか。客数を抑えているサントリーホールは、いつもより良く響いている気もする。
定員の半数に制限された客席だが、さらに空きはある。僕も世の中の状況を見て迷ったから、自重している人も多いだろう。
ただ、高校から大学にかけてオーケストラに所属していて、そこで学んだ無形の何かは自分にとってとても大切で、こうやって行くことで何らかの「恩返し」をしたいという気持ちがどこかにある。誰に、というのはなく音楽をしている人に対して。

そんなことを休憩中に思いつつ、後半はベートーヴェンの「英雄」。音楽監督のジョナサン・ノットが来日できなかったのだが、「諦めが悪い」彼は、「指揮映像を収録し、楽員がそれを見ながら演奏する」という提案をした。このあたりの経緯はプログラムに書かれているのだが、事務局長の辻敏氏の名文はこちらからも読める。
指揮者のいるべき場所には、4つの大型モニターが四方に向けられて設置される。客席にも向くので、客はノットと向かい合うようになる。
演奏が始まると、最初は指揮者が気になる。何もないところで1人で振っているのか?すごい精神力だな、とか考えていたのだが、途中であまり見ないようにした。眼をつむって聴いていれば、そこでは堂々とベートーヴェンが流れている。

フィナーレが終わった時の、ズシンとした感動は、いままでのあらゆるコンサートと異質だった。
いま音楽を奏で続ける、ということの大変さを改めて感じる。
まず再開できてよかった、と思う一方で、これからの道のりを想像するだけで、帰りの足取りはやや重くなってしまう。相当な悪路のはずだ。オーケストラコンサートもそうだが、百貨店、美術館、歌舞伎など高齢者の外出に依存してきた市場は、逆風になっている。

しばらくは、明るい話にはなりにくいかもしれない。ただ、少し長い目で見れば日本のオーケストラにも機会はあるとは思う。

1つは、働き方が変わることで、時間に余裕が出てくるかもしれない。まだまだ分からないけれど、在宅勤務なども広がり、それがきっかけで全体的にムダがなくなっていく、というのはシナリオの1つだ。

オーケストラの演奏会に高齢者が多い理由の1つは、学校を卒業した社会人が「時間の読めない生活」をしているからだと思う。僕は30代の10年、会社勤めしながら定期会員で皆勤だったが、あれは相当図々しい性格でないと難しい。働き方が変われば、新しい客層を開拓できるかもしれない。

もう1つは、定額のストリーミングサービスが普及したことだ。クラシックは、まず「知る」ことのハードルが高い。以前であればディスクを購入することになるけど、知識もないうえに「外したらどうしよう」となる。しかも、レンタルだって少ない。
そのあたりの環境が変わっていけば、クラシックが聴かれる可能性は広がると思うのだ。
しかも「在宅とクラシック」って相性がいいと思うんだよね。
何ができるかわからないんだけど、まずはできる限り演奏会に足を運んでみようと思ってる。